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<ゴーン事件の底流>(7)企業体質 「独裁者」繰り返す歴史

社会

2018年12月18日 朝刊

カルロス・ゴーン容疑者(上)以前、日産には、第9代社長の川又克二氏(左)、第11代社長の石原俊氏(中)、自動車労連会長の塩路一郎氏(右)(いずれも故人)という権力者がいた=コラージュ

 「一人に権限が集中しすぎた」「長年にわたる統治の負の側面と言わざるを得ない」。日産自動車前会長のカルロス・ゴーンが逮捕された十一月十九日夜、横浜市の日産本社で行われた記者会見。社長の西川(さいかわ)広人はゴーンによる二十年近い長期政権の弊害をこう強調した。

 ゴーンに権力が集中し、暴走を許したものは何か。「優等生的な社員が多く、権力者が現れると圧倒されてしまう」。ゴーンが仏ルノーから派遣されて最高執行責任者(COO)に就いた一九九九年、取締役を務めていたあるOBは、こうした社風が権力者を生みやすい土壌となっているのではないかと指摘する。

 「ある種の英雄として登場した人が権力を握り、独裁者となっていく」。このOBは、過去の日産とゴーンの一強体制を重ね合わせる。

 戦後、日産の経営陣は一九五三年の大規模な労働争議を頂点に、強力な労働組合に頭を悩ませてきた。組合の切り崩しに奔走し、業績を盛り返した九代目社長の故川又克二は「日産中興の祖」と呼ばれた。七三年まで十六年にわたって社長を務めた川又は「権力が集中し、公私混同もあった」(元取締役)という。

 川又の懐刀で、自動車労連(現在の日産労連)の会長を務めた故塩路一郎も組合で絶大な権力を握った。労使の対立を緩和させた立役者は、逆に組合の力を盾に経営に介入するようになった。役員人事にまで影響力を持っていたとされる。

 「川又と蜜月の関係を築き、『天皇』と呼ばれた塩路は独裁体制をつくったが、十一代社長に就いた故石原俊がこれに反発した」と六十代の日産OB。七十代の労組OBは「塩路天皇も会社が仕組んで追い出した。日産の経営陣にはそういう体質が脈々と残っている」と言う。

 石原は乗用車「サニー」をヒットさせた功労者として登場。八五年には、経済同友会代表幹事を務めた。日産社内の権力闘争を描いた「日産 その栄光と屈辱」を書いた作家の佐藤正明は「石原が社長の時代も物を言わない役員が多かった。石原とゴーンは似ていると思う」と話す。

 この三人はそれぞれに権力を手にするまで激烈な社内抗争を繰り広げた。時に怪文書が飛び交い、社内は疲弊した。特に塩路と石原の対立は経営の意思決定をにぶらせ、九八年に経営破綻直前まで追い込まれる遠因となったとされる。

 その危機を救い、新たな英雄となったゴーンも、検察との司法取引によってその地位を追われた。

 「極端に特定の個人に依存した形ではなく、よい見直しの機会になるのでは」。記者会見で、クーデターとの見方を否定した西川はこう語った。しかし、日本企業の社内抗争を描いた著書がある経済ジャーナリストの有森隆はこう指摘する。「日産は独裁者でないと統治できない企業体質が変わっていない。また新しい独裁者が出てくるのではないか」 =おわり

 (呼称、敬称略。この連載は、池田悌一、竹田佳彦、神野光伸、森本智之、藤川大樹、辻渕智之、宮畑譲、岸本拓也、矢野修平、小野沢健太、山田雄之、蜘手美鶴、西川正志、阿部伸哉、西田義洋が担当しました)

 

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