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<東京人>石に恋して まちに息づく近代史

東京

2018年9月9日

1936(昭和11)年竣工の国会議事堂。建材のほとんどが国産で、外装は後に議院石と呼ばれるようになる広島県呉産の花崗岩が、内装には37種類の国産大理石が使われているという(提供・参議院事務局)

 コンクリートジャングルという言葉のように、東京のまちは、鉄やコンクリート、アスファルトで覆われている印象があります。ビルやデパートの壁や床などに多くの石が使われ、実は日常生活が石の建物に囲まれていることを迂闊(うかつ)にも意識してきませんでした。

 それらの石が、どこからどうやって来たのか。国士舘大学教授で地質学者の乾睦子さんは、東京の近代建築を例に、その歴史を解きほぐしていきます。

 近代化が進む中で、日本の建築技術や石材産業も発展してきました。大理石などは外国産のものが多いのでは? そんな思い込みがあったのですが、東京のまちには、日本列島の各地で産出するさまざまな石材を用いた建物が多いことに驚かされます。

 江戸から明治時代には、江戸(東京)近郊で採れる安山岩が中心でしたが、やがて瀬戸内海から花崗(かこう)岩が登場し、その白さと美しさが人気を集めます。建築石材としての需要が見込めるようになり、さまざまな色彩や模様の大理石が採られはじめ、国会議事堂(昭和十一年竣工(しゅんこう))建設時には可能なかぎり国産の建材を用いるという指針から、各地で大理石資源が開発されました。

 国産石材の多様さだけではありません。東京の近代建築には加工技術の粋が散(ち)りばめられており、少し注意を向けると、なにげなく通り過ぎていた建物がまるで違った顔を覗(のぞ)かせます。

 まちにひそやかに息づく石に目を凝らせば、近代日本の歴史が見えてくる。そんな気がするのです。 (「東京人」編集部・後藤隆基)

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 「都市を味わい、都市を批評し、都市を創る」をキャッチコピーに掲げる月刊誌「東京人」の編集部が、10月号の記事をもとに都内各地の情報をお届けします。問い合わせは、「東京人」編集部=電03(3237)1790(平日)=へ。

 

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