XMenu

<太宰治没後70年 三鷹の記憶> (2)下宿から深夜、玉川上水へ

東京

2018年8月31日

太宰治の墓の前で説明する小谷野芳文さん=いずれも三鷹市で

 「太宰治は戦後、流行作家になり、たくさんの人が訪ねてくるようになりました。仕事に集中できなくなったため、三鷹駅前に複数の仕事場を借りました」と「みたか観光ガイド協会」代表の小谷野芳文さん(78)。

 駅前にあった小料理屋「千草」を太宰は、作家仲間や編集者との打ち合わせに使い、二階を仕事部屋として借りた。一九四八年、太宰が行方不明になった際は、捜索本部となり、玉川上水で遺体が発見された後は検視が行われた。「店の主人は、(太宰をしのぶ)桜桃忌の世話をしていました」と小谷野さん。

 その向かいにあるのが、野川家跡。太宰と心中自殺した美容師の山崎富栄が、近くの美容院で働くため下宿した場所で、太宰は仕事部屋としても使った。四八年六月十三日深夜、二人はここから玉川上水に向かった。

 玉川上水は現在、水量が少ないが、小谷野さんは当時の様子が想像できるように太宰の小説「乞食(こじき)学生」の一節を読んでくれた。「川幅は、こんなに狭いが、ひどく深く、流れの力も強いという話である。この土地の人は、この川を、人喰(ひとく)い川と呼んで、恐怖している」

1948年6月19日、入水自殺した太宰治と美容師山崎富栄の遺体が見つかった玉川上水

 二人が入水したとされる場所に、太宰の故郷である青森・金木産の玉鹿石(ぎょっかせき)が置かれていた。なぜ入水場所が分かったのか。「太宰のことを学んだ近所の人が当時、男物と女物のげたが並べられていたと証言した場所の近くです」と小谷野さんは教えてくれた。

 太宰治の墓があるのが三鷹市内の禅林寺。太宰は小説「花吹雪」の中で、禅林寺には「森鴎外の墓がある。(中略)ここの墓地は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗(こぎれい)な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知(し)れない」と書いている。

 小谷野さんは、太宰の妻津島美知子さんの著書「回想の太宰治」を引用し「夫婦で禅林寺にある鴎外の墓を詣でたことがあったので、住職に頼み、森家墓地の斜め前の一画を譲ってもらったそうです」と説明してくれた。

<メモ> 定例ガイド終了後、希望すれば昼食会に参加できる。「太宰作品の朗読を聞きながら、食事をすると、みなさん、すっかり仲良くなります」と小谷野さん。

 

この記事を印刷する