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<太宰治没後70年 三鷹の記憶> (1)無頼の文豪に思いはせ

東京

2018年8月29日

太宰治愛用のマントのレプリカを着て、陸橋について説明する小谷野芳文さん=三鷹市で

 太宰治ゆかりの地を訪ねる無料の「定例ガイド」が三〜十一月の毎月第四日曜日の朝、JR三鷹駅南口(三鷹市)から出発する。「みたか観光ガイド協会」のボランティアの案内で、数人ずつのグループに分かれ、太宰の立ち寄り先や旧居跡などを巡り、所要時間は約二時間四十分だ。

 「太宰が生きた昭和十〜二十年代の建物は建て替わり、没後六十年の二〇〇八年に設置されたプレートが残る場所がほとんどです」と代表の小谷野芳文さん(78)。当時の姿をとどめるのが一九二九年に造られた陸橋だ。見晴らしが良く、太宰は編集者や弟子を連れて来ていたという。この橋で、愛用のマントを着てたたずむ太宰の写真がよく知られている。

 太宰は三鷹駅から歩いて約十五分の三鷹市下連雀の借家で暮らした。小谷野さんは太宰の妻・津島美知子さんの著書「回想の太宰治」を引用して「六畳、四畳半、三畳の間取りに玄関、縁側、風呂場が付いていました。新築で、日当たりがよかったそうです」と説明してくれた。

 太宰は菓子折りのふたを利用して「津島修治(太宰治)」と毛筆で並べて書いて、表札にして玄関の左の柱に打ち付けたという。

 門柱際にサルスベリの木があり「枝さきにクレープペーパーで造ったような花をつけていた」(「回想の太宰治」)。この木は、女性記者と心中する夫を妻の視点から描いた太宰の小説「おさん」に、夫婦が最後に会話を交わす場面で登場する。旧居跡の近くにある三鷹市の和風文化施設「みたか井心亭」の庭に、移植され、道路から見ることができる。

 芥川賞作家でお笑いタレントの又吉直樹さんが、上京して最初に住んだのが、旧居跡に建てられたアパート。著書「東京百景」に「そんなことも知らずに、僕は太宰が作品を書いた場所で、太宰の作品を貪(むさぼ)るように読んでいた」と記している。

 ◇ 

 作家太宰治(一九〇九〜四八年)が三鷹市を流れる玉川上水で心中自殺をして七十年。太宰は戦中、戦後の約七年半、都心から離れた三鷹で暮らし、約百五十作品のうち、「走れメロス」や「斜陽」、「人間失格」など約九十作品を書いた。太宰が人生の後半を送った三鷹を訪ねた。

<メモ> 太平洋戦争開戦の日を女性の視点から描いた小説「十二月八日」に登場する伊勢元酒店跡にあるのが「太宰治文学サロン」。年表や地図、解説パネルが設置され、ガイドボランティアが常駐している。

 

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