遺族を代表して追悼の言葉を述べる松本美智子さん(中央)=文京区で
終戦の日の十五日、戦没者を弔い平和の誓いを新たにする式典や、戦争の悲惨さを知る催しが都内各地であった。
都戦没者追悼式は文京区の文京シビックホールで開かれ、六百八十五人が参列。遺族を代表し、八王子市の松本美智子さん(85)は父が中国で戦死したことや、一面が火の海になった八王子空襲を振り返り「終戦から七十三年たち戦争を知らない世代が大半を占めるようになった。史実を風化させることなく、次世代に語り継ぐことが使命と強く感じている」と述べた。
東久留米市の高校三年島崎健太郎さん(18)は「曽祖父が私と同じ年で徴兵され、命を落としたと聞いた。祖母からは疎開先で苦労し、空襲警報におびえ、食べ物がなかったことなどを聞いた」と話し「平和が続くよう少しでも役立つことを考え、行動していくことを誓う」と決意を表明した。
小池百合子知事は「わが国の歩んだ戦争の歴史をしっかりと省み、未来へとつないでいくことが私たちに課せられた使命」と述べた。参列者の最高齢は百歳だった。 (森川清志)
戦災孤児としてのつらい経験を語る吉田さん=江東区で |
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江東区北砂の東京大空襲・戦災資料センターでは、三歳で東京大空襲に遭い両親と妹を亡くした茨城県鹿嶋市の吉田由美子さん(77)が、戦後、預けられた親戚の家でつらい思いをした経験を親子連れら約百人の前で語った。
現在の墨田区業平に住んでいた吉田さんは、父方の実家がある新潟県に家族で疎開しようとする矢先に空襲に遭った。その晩は近くの叔母の家におり、背負って逃げてくれた叔母のおかげで助かったが、両親と妹は今も遺骨も出ていない。
六歳で新潟の父方の親戚に預けられた際、「空襲で家族と一緒に死んでくれれば良かった」と言われた。「いつか迎えに来てくれると思っていた両親の死をその時初めて知った」。幼い子を預かる親戚の大変さも思いやったうえで、「親に育ててほしかった。甘えてみたかった」と無念さをにじませた。
「爆弾を落としたアメリカに何を言いたいですか」という子どもからの質問に「悔しい。でも戦争をけしかけたのは日本でアメリカのせいだけにはできない」と答えた。 (神谷円香)
防空壕を見学する子どもら=葛飾区で |
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葛飾区では、区観光施設「山本亭」(柴又7)で、「柴又から戦争を考える〜紙芝居と防空壕(ぼうくうごう)見学」が行われた。約40人が普段は公開されていない防空壕を見学、戦争や戦時下の暮らしに思いを巡らせた。
山本亭は事業家の旧邸宅。建物地下にある壕は約5メートル四方の部屋が二間あり、庭に出られる階段もある。
この日は、区の学芸員による葛飾と戦争に関する講演と、葛飾を襲った空襲などを題材にした紙芝居上演の後、子どもらが建物内の階段を下りて壕に入った。山本亭を管理する「寅(とら)さん記念館」の横山秀一郎副館長は「訪れた方の平和に思いをはせるきっかけになれば」と話した。 (飯田克志)
基調報告する平和遺族会全国連絡会代表の西川さん=千代田区で |
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平和遺族会全国連絡会は千代田区九段北の日本キリスト教団九段教会で集会を開催。約百人が参加し安倍政権が意欲を見せる改憲の動きを懸念し、憲法九条を守る思いを新たにした。
同連絡会の西川重則代表(90)は基調報告で、ビルマ(現・ミャンマー)で終戦後の引き揚げ中に戦病死した兄に触れながら、「憲法に習熟し、すばらしい内容を心にとどめて私たちも行動しなければ」と訴えた。
安保法制違憲訴訟の会共同代表の杉浦ひとみ弁護士は講演し、自民党の九条への自衛隊明記案を批判。「今までと変わらないというが、九条の魂は骨抜きになる。どんなことがあっても通してはいけない」と力を込めた。緊急事態条項の創設も、政府の権限が際限なく拡大するおそれがあることから「歯止めがなくなり、危険だ」と指摘した。 (原昌志)