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<つなぐ 戦後73年>願い託し「平和の俳句」

東京

2018年8月15日

自身の投稿した平和の俳句に込めた思いを語る安藤正子さん=千葉市美浜区で

 終戦から七十三回目の夏を迎える東京でも、多くの人々が平和の願いを俳句に託した。痛みが風化する危機感から、終戦記念日の「平和の俳句」を通じて、これまであまり語られなかった、一人一人の記憶が開封された。

◆不条理を繰り返さない

 引揚船赤子葬(とむら)う凪(なぎ)の闇

 安藤正子(79) 新宿区 

 真っ暗闇の夜、船の甲板に波しぶきが上がっている。一瞬凪(な)いだそのとき、大人たちが抱えていた白い布を海面に下ろしていった。

 主婦の安藤正子さん(79)=新宿区=は王子製紙の工場があった樺太(現サハリン)の落合町で、国民学校一年のときに終戦を迎えた。二年後の初秋、家族七人で内地への引き揚げ船に乗り、その船内で乳児が水葬される場面に遭遇した。

 「たぶんチフスか何か、伝染病だったのでしょう」。実際にその場を見たのか記憶はあいまいだ。しかし船底で泣きむせぶ若い女性の姿や、声を潜めて話す大人たちの様子は鮮明に焼きついている。「子ども心にも何か怖いことがあったんだと思いました」

 長年、ふたをしてきた引き揚げ体験を句に詠んだのは、平和への思いを訴え続けた故金子兜太さんの影響があった。「自分の通ってきた道を考えなければ」との思いにかられた。

 引き揚げ船には過酷な運命が交錯していた。乗船間際に、朝鮮籍を持つ母親と引き裂かれた少年もいた。「戦争さえなければ、こんな不条理なことは起こらなかった。繰り返してはいけない」 (原尚子)

戦争が終わった時のうれしさを今も忘れられないと語る高橋良彰さん=西東京市で

◆忘れられぬ 夕げの風景

 管制外れ明るさ戻りきあの刻(とき)を憶う

 高橋良彰(80) 西東京市

 「一九四五年の八月十五日の夕げの風景が今もまぶたの奥に浮かびます」と高橋良彰(よしあき)さん(80)=西東京市=は振り返る。

 終戦で久しぶりに灯火管制が解け、南多摩郡堺村(現在の町田市)の実家では、光が漏れないようにしていた電灯の覆いを外した。

 明るい光の下で、畳の上の円卓を家族で囲んだ。国民学校二年生だった高橋さんは、学校教員をしていた両親と互いに顔を見合わせた。みな笑顔だった。

 食事はいつものジャガイモとカボチャ。白いコメを食べられるようになったのはしばらく先のことだった。それでも、「あの明るさと家族の笑顔は生涯忘れられない」。

 東京外語大を卒業後、木材商社で定年まで働いた。年金生活になった今思うのは、緊張が続く国際情勢や安倍一強と呼ばれる政治情勢だ。街はモノであふれ返っていても、ひとたび戦争が起きて物流が止まれば状況は一変すると憂う。

 「平和の重み、喜びが人々の意識から薄れ、危うい時代に差しかかっていると感じる」 (花井勝規)

 

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