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「この学校も焼けたのよ」 品川の中野さん 母校で児童に空襲体験談

東京

2018年7月19日

実際に使っていた防空ずきんとはんてんを児童に着せて説明する中野登美さん(中)=品川区の宮前小学校で

 太平洋戦争中の学童疎開の調査や講演活動を続けている品川区の中野登美さん(83)が十八日、母校の同区立宮前小学校(旧・宮前国民学校)で特別授業を行った。四年生二十九人が、戦時下の暮らしや空襲直後の様子に耳を傾けた。

 同区生まれの中野さんは一九四四年八月、引率教諭を含む約五百人で静岡県奥山村(現浜松市)の方広寺に疎開。四五年五月、別の場所に再疎開するためいったん自宅に戻ったのが、荏原地区一帯を襲った城南空襲の翌日だった。

 「この学校も焼けたのよ」と中野さん。駅から自宅への道で、防火用水に体を半分突っ込んだまま亡くなっている人を見た体験や、麦畑に逃げ込んで命拾いをした母親の姿など生々しい記憶を語った。

 中野さんは「当時産めよ増やせよと言われたのは、兵隊さんがたくさん必要になるからだった。でも子どもは国のために大きくなるのではなく、自分のために大きくなるのよ」と説明、「歴史は通過点ではなく、そこから学ぶもの。いろんな人にたくさん話を聞いて、自分の考えを持って」と語りかけた。

 授業を聞いた鈴木雄大さん(9つ)は「本で読むよりも戦争の怖さがよく分かった」と話した。 (原尚子)

 

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