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<変わる東京2020>新橋再開発(上) ニュー新橋ビル

東京

2018年7月1日

ニュー新橋ビルの「初藤」の真部和昌さん。建設当時の入居交渉は大もめだったという

 六月十五日のTOKYO発面で紹介した「ニュー新橋ビル」と「新橋駅前ビル」。再開発構想に揺れる、レトロ空間で生きる人たちの思いを改めて紹介する。 (瀬戸勝之)

 「斬新な網目模様の外観が注目され、今とは比べものにならないにぎわいでした」。ニュー新橋ビル二階で居酒屋「初藤」を経営する真部和昌(まなべかずまさ)さん(83)は、一九七一(昭和四十六)年のビル開業時を振り返る。

 初藤の発祥は戦後の闇市跡の飲食街にあった小さなおでん屋だ。その後、居酒屋に変わり、今もサラリーマン客らに愛されている。

 ビルが開業したとき、隣のSL広場にまだSLはなかった。SLの登場はビルが開業した翌年だ。この年、新橋駅は開業百周年を迎えていた。「『鉄道発祥の地のシンボルにしよう』とビルの商店会が中心になり旧国鉄に提供を働き掛けた」。当時のSLは地元の小学校の「教材」でもあり、子どもたちが運転室の中に入ることができたという。

 ニュー新橋ビルを取り壊し、三十階建てなど高層ビル二棟を建てる構想について真部さんは「やむを得ない」との意見だ。「世代によって『新橋らしさ』は変わる。赤ちょうちんが似合う横町の雰囲気を求める声もありますが、若い人はどうでしょうか…」。ただ商店会が誘致に動いたSLへの思いは強い。「SL広場は何らかの形で残してほしい」とも話す。

 ビル一階の洋食店「ムサシヤ」も開業時から続く店舗。ただハンバーガー店、クレープ店と業態を変えてきた。父親から店を継いだ鈴木瑞雄社長(70)は「最初は欧米に憧れがあった。流行の先駆けを狙ったが新橋にはなじまなかった」。

1960年代の流行を取り入れたデザイン

 救世主になったのは、クレープの後に始めた、たい焼きだ。七五年発売の「およげ!たいやきくん」の大ヒットが追い風になった。今の洋食店を始めたのは十五年ほど前。都から耐震強度不足を指摘されたため、鈴木さんはビルの早急な建て替えを求めている。ただ店を続けるかは「(後を継ぐ)息子が決めること」と話す。

 地下一階の日本料理店「千嶋 秩父」は一九五三年創業の老舗。おかみの千島よし江さん(83)は「周りの店舗は代替わりが進んで店を手放した人も多い。様子がすっかり変わってしまったけど、再開発は時代の流れ」と受け止めている。

<ニュー新橋ビル> 地上11階、地下4階建ての区分所有ビル。金券店など約300店が入る。2016年に周辺の地権者と再開発準備組合を設立した。再開発の対象はSL広場などを含む2・8ヘクタール。早ければ25年に30階建てを含む高層ビル2棟の建設を始める構想がある。再開発には一般的に地権者らの8割以上の同意が必要で、ニュー新橋ビルの約9割、周辺地権者の約7割が再開発準備組合に加入し、具体案を協議している。

 

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