XMenu

<東京人>没後70年 太宰治 最も愛した船橋の家

東京

2018年6月10日

海老川にかかる丸重橋のレリーフ=千葉県船橋市で

 六月十九日、太宰治の誕生日に彼を偲(しの)ぶ「桜桃忌」といえば三鷹の禅林寺が有名ですが、千葉県船橋市では「生誕祭」として行われています(本年は十七日午後一時開始)。太宰の旧宅にあった夾竹桃(きょうちくとう)が移された市民文化ホール前の文学碑に、桜桃忌にちなんでサクランボが供えられます。

 太宰は二十六歳だった昭和十年から一年三カ月余り、内縁の妻の初代と船橋で借家住まいをしました。作品「十五年間」に「私には千葉船橋町の家が最も愛着が深かった」と書き残しています。船橋市提供のウェブ版「魅力発信サイトFUNABASHI Style」を参考に歩きました。市街地を流れる海老川の「九重橋」を目指します。路地が入り組み、昭和の面影が残る住宅地を歩いて八分ほど。欄干には「走れメロス」の銅板が飾られています。橋を渡った住宅地に「太宰治旧居跡」の表示があります。「十五年間」の「その家から引き上げなければならなくなった日に、私は、たのむ! もう一晩この家に寝かせてください、玄関の夾竹桃も僕が植えたのだ、庭の青桐(ぎり)も僕が植えたのだ、と或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れていない」という文を思い出しました。

 その夾竹桃は隣家の庭にあったもので、ほれ込んで三本のうち一本を譲り受けたのです。市民文化ホール前に移され、今も夏に赤い花を咲かせます。二十日余り滞在して作品を書いた湊町の「割烹(かっぽう)旅館 玉川」も当時のまま姿を残しています。ゆっくり歩いて一時間少しで船橋の太宰をたどることができます。 (金丸裕子)

     ◇

 「都市を味わい、都市を批評し、都市を創る」をキャッチコピーに掲げる月刊誌「東京人」の編集部が、7月号の記事をもとに都内各地の情報をお届けします。問い合わせは、「東京人」編集部=電03(3237)1790(平日)=へ。

 

この記事を印刷する