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「焼夷弾の音 体が震えた」 品川で「城南空襲」の体験聞く会

東京

2018年5月28日

「戦争なんかするもんじゃない」と語る城南空襲体験者の石井悌次郎さん(奥)=品川区で

 「焼夷弾が落ちるザーザーという大雨のような音に体が震えた」−。太平洋戦争末期、いまの品川区西部を襲った「城南空襲」の体験を聞く会が二十七日、同区のスクエア荏原で開かれた。参加した約三十人は体験者の生々しい証言に熱心に耳を傾けていた。

 一九四五年五月二十四日の城南空襲は、米軍B29爆撃機五百二十機が旧荏原区に襲来。まちの約七割が焼失した。約三百六十人が亡くなったとされる。

 登壇したのは、十六歳のときにこの空襲を体験した石井悌次郎さん(89)。自宅から百五十メートルの場所に焼夷(しょうい)弾が落ち、警防団員だった父がポンプで水をかけるのを必死で手伝ったという。空襲を体験すると「体が硬直して動けなくなる」と語り、「いつ空襲が来るか、毎晩おびえていた」と今も残る鮮明な記憶を口にした。最後に「戦争なんかするもんじゃない」と会場に語りかけた。

 この日は、武蔵小山商店街が満蒙(まんもう)開拓団として組織された歴史を紹介する区制作のDVDも上映された。戦争末期の四五年春に、「食糧増産」をめざして商店主とその家族ら千九十三人が開拓団として海を渡った。戦後、帰国できたのは五十三人のみという。

 映像を見た広瀬文江さん(89)は「自分も、知人のクリーニング店のお兄さんが『おいしいお野菜を送ってあげるからね』といって旅立ったが、帰ってこなかった」と話した。

 地元の有志らで作る「城南空襲を語り継ぐ会」は毎年、この時期に体験を聞く会と空襲の絵の展示などを開催している。同会の西條明子さん(72)は「年々体験者が減っていく中、証言を多くの人に伝え、記録に残していかないといけない」と話していた。 (原尚子)

 

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