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<ニュース読者発>後ろに焼夷弾、懸命に走り 叔母が戦禍の体験を詳細に手記 柏の小林さん

東京

2018年5月25日

叔母が書いた手記を読み返す小林さん=千葉県柏市で

 一九四五年五月二十五日の「山の手空襲」。この都心最後の大規模空襲について、本紙読者で千葉県柏市の主婦小林礼子さん(72)は、戦禍の夜を体験した叔母に生前、体験を書き残してもらっていた。四百字詰め原稿用紙十三枚に及ぶ手記には、「もう一歩遅かったら焼夷(しょうい)弾にやられていた」などと、命からがら逃げた様子が詳細につづられている。 (神谷円香)

 「体験は貴重だから、と頼んだらきっちり書いてくれた」。小林さんは叔母をそう振り返る。

 小林さんの父寅雄さん(故人)の妹である大薗つやさん(二〇一三年、八十九歳で死去)は、出産のため鹿児島市に帰郷した小林さんの母の代わりに上京、表参道交差点(港区北青山)そばの家で一九四五年四月から兄妹で暮らしていた。

 手記によると、五月二十五日夜、空襲警報を聞き、防空壕(ごう)に食糧を入れ、大薗さん自身も身を潜めた。だんだん機銃掃射の音が激しくなると、「中に入っているのが怖くなり」外に出た。隣組の防空組長として避難を呼び掛ける寅雄さんと別れ、明治神宮外苑方面へ向かった。

山の手空襲体験者の手記=千代田区で

 途中、隣家のお年寄りが重い荷物を抱えて戸惑っているのを見て、その手を引き一緒に逃げた。すぐ後ろに焼夷弾が落下し「振り向くこともできず一生懸命走り」、外苑まで来た。さらに「青山墓地に行くんだ」と警防団に言われるが、東京の地理が分からず、人波に押されながらなんとかたどり着き、墓地で夜明けを迎えた。

 小林さんは終戦直前の七月、鹿児島市で生まれた。二度出征した寅雄さんからは戦地の話は少し耳にしたものの、空襲の体験を聞いたことはなかった。二〇〇九年、自身の子どもたちにも話していなかった大薗さんに体験を伝えてほしいと執筆を頼んだ。

 思い出すのもつらかっただろう記憶を数カ月かけてたどり、書いてくれた叔母に感謝している。「戦争で殺していい人なんていない」と改めて反戦への思いを強くしている。

 

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