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「三社祭」歴史知って 浅草神社で石碑建立式

東京

2018年3月19日

石碑の除幕をする(右から)浅草神社総代の宮本卯之助さん、服部征夫台東区長、冨士滋美浅草観光連盟会長=台東区で

 浅草神社(台東区浅草2)に祭られた三神の名を刻んだ「三柱(みはしら)の石碑」が境内に設置され18日、氏子団体、浅草観光連盟などの関係者が出席して建立式が開かれた。現在の矢野泰良(やすら)宮司(82)が同日から、由緒ある「土師(はじ)」姓を名乗ることになり、石碑は改姓を記念して建てられた。 (井上幸一)

 「浅草寺縁起」によると、推古天皇三十六年(西暦六二八年)三月十八日の早朝、隅田川で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟の投網に仏像がかかり、土地の長の土師中知(はじのなかとも)がこれを観音像と確認、中知が屋敷を寺に改め、出家して深く帰依したのが浅草寺の起こりとされる。寺に隣接する浅草神社には、この三人が神として祭られ、五月には三社祭が催される。

 中知の子孫は代々、浅草寺に僧侶として仕え、神社の神職を世襲してきた。明治の神仏分離令以降は、矢野に姓を改めて宮司職を継承。「宮司の姓は本来、土師であるべきだ」との氏子らの声もあり、観音像が現れてから千三百九十年の節目のこの日、先祖の姓に戻した。泰良さんは中知から数えて六十二代目に当たるという。

 除幕された碑は、投網が三つ並んだような形。浅草寺、浅草神社の由来、土師家の歴史などの解説文も添えられている。

 式典では、氏子団体である浅草神社奉賛会の鈴木秋雄会長が「何かの折に石碑を拝観していただき、浅草千四百年の歴史に思いをはせてほしい」とあいさつ。浅草観光連盟の冨士滋美会長は「お三方がお祭りしてあるから、三社さまということが、なかなかお分かりいただけない。建立によって、三社祭と呼ばれる訳を知ってもらえれば」と期待を語った。

 

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