XMenu

東京大空襲73年 「現実と信じられず」 浅草で追悼集会

東京

2018年3月11日

追悼碑の前で、大空襲の日の体験を語る木村吉隆さん=台東区で

 十万人の命が一夜にして奪われた東京大空襲から七十三年の十日、台東区の隅田公園(浅草七)で犠牲者を追悼する集会が開かれた。地域の市民有志による実行委員会が毎年催しており、およそ百二十人が参加して追悼碑に献花。空襲体験者二人が当日の惨禍を語った。 (井上幸一)

 マイクを握ったのは、浅草寺門前の仲見世商店街で、江戸趣味小玩具の店を営む木村吉隆さん(80)。空襲当時は七歳で、家族五人で浅草に住んでいた。

 「隅田川では、浮いている船の油が燃え、みな焼け死んでいるとの情報があった。うろうろしていると、松屋デパートのシャッターが開いていて、そこに吸い込まれて助かった」と空襲の夜を回想。「明くる日、兵隊さんが死骸をシャベルで積んで、山がたくさんできていた。大変な経験をした」と述べた。   

 続いて、大空襲を描き続けてきた画家の村岡信明さん(86)が発言。兵庫県西宮市から参列した村岡さんは深川区(現在の江東区)で生まれ育ち、十三歳の時に大空襲に遭遇。清澄庭園に逃げ込み、池の水をかぶって生き残ったという。

空襲の体験を語った後、追悼碑に献花する村岡信明さん

 村岡さんは「あの夜の大空襲は米軍の綿密な計画による大量殺りく」と強調。「群集の中に、B29の編隊は焼夷(しょうい)弾を集中的に投下してきた。直撃されて狂ったように死んでいく人間を目の前で何人も見た」と証言した。

 「夜が明け、折り重なって死んでいる人間の中に子どもたちがたくさんいた。母親に抱かれ死んでいる赤ちゃんもたくさんいた」と村岡さん。

 「現実と信じられず、自分も死んで地獄でこの光景を見ていると思った」と惨状を語った。

 

この記事を印刷する