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<スナック再考>(上)スナックヒロ(錦糸町) 母の優しさ「家」のよう

東京

2018年1月1日

「ストレスを吐き出して、英気を養ってもらう場所」と話す横木文子さん(左)

 どこのまちにもある「スナック」は、一九六四年の東京五輪を機に誕生した。働く人たちを癒やし、地域交流の拠点にもなっている「夜の社交場」。日本の文化として、もっと誇ってもいいのではないか。二度目の五輪の開催を前に、スナックの役割に光を当てる。

     ◇

 年末の午後十時すぎ。若いサラリーマン四人組が店に入ってきた。さっきまでの会社の忘年会で「漫才」を熱演してきたという。

 「おなか減ったわ」。誰かの漏らした一言を、ママの横木文子さん(78)は聞き逃さない。「カレーライス出そうか」。すかさず運ばれた大盛りの皿に、藤村侑司さん(30)は「ばあちゃんの家に来たみたいだな」。

 錦糸町駅から徒歩三分。時計工場跡地を再開発した複合施設「オリナス」近くの店は、東京五輪翌年の一九六五年に開店した。横木さんが二十六歳の時。運送業の夫との間に、二歳の長男がいた。「生活費を稼がなきゃと必死だった」

 スナックという新しい形態の飲食店のことを知り、これなら「知人のバーを数カ月間手伝った経験が生かせる」と借金して始めた。

 二人目、三人目の男の子が生まれたときは、おっぱいをやる時間にいったん店を抜け、また戻ってと、忙しく仕事をした。当時は着物姿で接客していた。母乳が染み出るのを隠すため、胸にタオルを四枚も巻いた。

 ホステスは最盛期には十六人がいた。時代は高度経済成長期。工場や、建設現場で働く人たちが詰めかけ錦糸町の有名店になった。

 バブル崩壊、飲食店の多様化で「ここ二十年はずっと不景気よ」と苦笑する。だからこそ、客へのもてなしはいっそう心がこもる。

 カウンターの奥には、一冊のノートが置かれている。手あかでくすんだ表紙には「大事なノート」と書いてある。個人タクシー運転手の「おおちゃん」が愛した曲の入力番号が記されている。

 妻に先立たれたおおちゃんは、雨の降る日も欠かさず店にやってきた。おはこを探して分厚い「歌本」をめくるのは大変だろう。ノートを開けば一目で分かるようにしたらいいのでは、と横木さんが考えた。「私とのデュエット曲には◎のしるしを付けてあげたの」。おおちゃんの一番のお気に入りは「いつでも夢を」だった。

 おおちゃんは八年ほど前に亡くなった。ノートは棺(ひつぎ)に入れようと思っていたが、忘れてしまった。そのときの後悔は、今ではよかったと思っている。「私がカラオケを頼まれた時に使うの。その度におおちゃんを思い出す。よい供養でしょ」

 最近、若者や地元の常連客の子どもや孫もポツポツとやってくるようになった。「元気ならあと十年は続けたい」。二〇二〇年の東京五輪は「錦糸町の母」の通過点だと思っている。 (川田篤志)

<スナックヒロ> 墨田区錦糸3−8−3。営業は午後7時〜午前0時。定休日は土、日曜日と祝日。電03(3626)0150。

<スナック> スナック研究会によると、経営者である「ママ」「マスター」やホステスの女性がいて、酒と楽しい会話を提供する。カラオケがあり、客の滞在時間に制限がなく、夜中まで営業しているのが一般的だが、法律上の明確な定義や業界団体はない。

 カウンター越しに接客する店が多いが、風俗営業店の届け出をし、客の隣でお酌する店もある。電話帳に登録があるスナックは2015年時点で全国で10万軒(都内は5000軒)。17年は6万2000軒(同4400軒)に減っていたが、大手コンビニエンスストア8社の店舗数(5万5000店、17年11月時点、日本フランチャイズチェーン協会調べ)よりも多い。

 

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