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<東京NEWS2017>(8)漱石山房記念館開館 「土地の記憶」継承の場

東京

2017年12月31日

新宿区立漱石山房記念館で、夏目漱石の生涯などを紹介するパネル展示=同区で

 文豪夏目漱石(一八六七〜一九一六年)が亡くなるまで九年間暮らした新宿区早稲田南町の住居跡地に九月二十四日、同区立漱石山房(さんぼう)記念館が開館した。「三四郎」「こゝろ」などの名作を世に送り出した住居「漱石山房」の一部を再現した記念館は、構想から実現まで四十年以上の歳月がかかった。

 漱石を長年研究する中島国彦・早稲田大名誉教授(日本近代文学)は、一九七四年に区教育委員会に提出された漱石山房の跡地利用に関する調査審議委員会の答申書を保管している。「漱石山房を復元」の文字が躍るが、当時、跡地の大半は七三年に建て替えられた都営住宅が占め、実現にはほど遠かった。

 七七年、都営住宅が区に譲与され、区営となった後も「復元する話が出ては消えた」(区文化観光課)。四回目の今回、区営住宅の移転に合わせ、区が二〇一一年度に復元の基礎調査費を予算化し、実現へ動きだした。

 記念館は、地上二階地下一階の鉄筋コンクリート造。その中に、瓦屋根で木造平屋の漱石山房の一部が再現されている。一部とは、漱石が執筆した書斎と、寺田寅彦ら門下生が集い文学サロンが催された客間、書斎と客間を囲むベランダ式回廊だ。

 ポイントは、漱石山房という「土地の記憶」をどう継承するか、だった。復元を一部にとどめた理由を、記念館整備検討会の座長を務めた中島さんは「限られたスペースで、再現すべき所は名作が生まれた書斎の部分と判断した」と説明する。

 再現に当たっては、細部までこだわった。八畳と十畳の二説があった書斎と客間は、中川武・早稲田大名誉教授(建築史)の調査で、当時の写真に写り現存する洋画の寸法を基に、両方とも十畳と特定した。

 記念館は、新たに収蔵した漱石の原稿「ケーベル先生の告別」八枚や漱石遺愛の長じゅばんなど約百三十点を所蔵する。先月末には来館者二万人を達成した。今月二十六日に来館した漱石ファンという会社顧問宮部芳幸さん(68)=埼玉県草加市=は「書斎を見て漱石の執筆風景が思い浮かんだ。違う展示があればまた来るかも」と話した。

 構想から長い年月の末、約十二億円をかけて整備された記念館。土地の記憶を伝えていくためにも、再訪したくなるような企画が求められている。 (増井のぞみ)

  =おわり

 

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