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明治期の漢学者・窪全亮功績に光 地元青年会議所が絵本制作

東京

2017年11月20日

窪全亮の足跡について話す森谷さん。後ろの石碑は全亮が記した日清戦争の記念碑=稲城市の青渭神社で

 明治時代、稲城市内に私塾を開いた漢学者、窪全亮(くぼぜんりょう)(1847〜1913年)を紹介する絵本「いなぎ」を、稲城青年会議所(JC)が作った。自宅を開放して青少年に学びの場を提供したこと、市名の名付け親であることなど、全亮の功績を子どもにも分かりやすく伝えている。 (栗原淳)

 全亮は江戸で学んだ後、自宅に「奚疑(けいぎ)塾」を開設。多摩地域から十代の子どもを寄宿させた。貧しい家の子や女子も招き、数学や英語、法律などを教えた。

 絵本の文を手掛けたのは、JC会員で同市東長沼にある青渭(あおい)神社の禰宜(ねぎ)森谷雅美さん(40)。昨年、公民館の市民講座に参加したのがきっかけで、「子どもに分け隔てなく学問を、という奉仕の理念に感銘した。あらためて偉大さが分かった」と話す。

 同神社の境内に全亮の揮毫(きごう)による碑が建つなどゆかりがあり、先祖が塾生だったことも知って「子孫としても先生の功績を広く伝えなければ」と、絵本制作を企画した。

 絵本はB5判で十二ページ。小学三年の男の子と女の子が明治二十一年にタイムスリップして全亮と出会い、入塾するというストーリー。二人は全亮の人柄に触れながら、塾で実践していた「根問(ねど)いの学び」の手ほどきを受け、疑問に思ったことを問題として書き出し、自ら答えを考えていく。全亮が一帯の村々の合併でできる新しい村の名前を、よい稲が実り、三つの城がある土地なので「稲城」と提案したことを知り、現代に戻る。

 絵は地元の都立若葉総合高校の美術部員に依頼。高校生は全亮の足跡を訪ねて取材して描いた。郷土史家らの助言も受け、五十冊を制作。市内の小学校と図書館に寄贈したほか、市や商店会などに一部七百円で販売した。

 一回り大きい紙芝居も作った。森谷さんは「市内外の施設に出向いて読み聞かせをしたい」と意欲を見せる。問い合わせは、森谷さんのメール=machajinja@gmail.com=へ。

 

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