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<東京人>永井荷風−愛すべき散歩者 故郷の小石川訪ね 描く

東京

2017年11月19日

昭和24年4月、荷風が脚本を書いた舞台「停電の夜の出来事」を上演した浅草の大都劇場にて(撮影・平賀眞、所蔵・永井壯一郎、協力・千葉県市川市)

 永井荷風が愛し、「断腸亭日乗」にも登場するのが銀座、浅草、荒川放水路、小石川、新宿などの町です。雑誌「荷風!」編集長も務めた作家の壬生篤さんが、足跡をたどりました。

 荷風は、二十歳のとき歌舞伎座で作者見習いを始めるなど、銀座と深い縁がありました。関東大震災で煉瓦(れんが)街を失い、復興していく銀座。荷風は「古さも新しさも肯定して」観察し続けました。戦後、浅草ロック座に通い詰めたことはよく知られていますが、戦前から訪れていたのが「松屋呉服店の建物」(現在の浅草駅ビル)です。屋上からの眺めを楽しんだり、買い物したり。その関係は生涯続きます。

 現在の荒川は昭和四十年まで「荒川放水路」と呼ばれていました。荷風が周辺の散策を始めたのは昭和六年晩秋、愛人・関根歌との関係を断ったばかりの頃。寂寞(せきばく)とした風景に心引かれた荷風は、その後も散策を繰り返します。ムーランルージュ新宿座が人気を博し、大衆文化が花開いた戦前の新宿。芝居見物だけでなく、夜の女と荷風の不思議な関係が「断腸亭日乗」に記されています。

 荷風は「東京を故郷として意識した最初期の作家」でした。折に触れ、生まれ故郷の小石川を訪れ、作品に描いています。昭和二十四年十月二十二日、戦災で焼け跡になった故郷を目にします。「荷風が、それ以後、小石川を訪ねたとの記録は見当たらない」と壬生さんは書いています。 (「東京人」編集部・矢部智子)

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 「都市を味わい、都市を批評し、都市を創る」をキャッチコピーに掲げる月刊誌「東京人」の編集部から、原則毎週日曜日に都内各地の情報をお届けします。

 詳しくは、「東京人」12月号32ページ「荷風の背中を追いかけて、『断腸亭日乗』を歩く 壬生篤」で。

 【12月号主な内容】快楽を肯定するひかげの女たち 川本三郎▽武士道と少女道 持田叙子▽新発見!晩年の創作ノート 川島幸希▽エッセイ 林文子、大竹昭子、岩下尚史

 問い合わせは、「東京人」編集部=電03(3237)1790(平日)=へ。

 

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