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日野用水の歴史ひもとく 開削450周年で記念特別展

東京

2017年11月8日

江戸時代の絵図など日野用水の歴史を伝える資料が並ぶ会場=日野市立新選組のふるさと歴史館で

 かつて「多摩の米蔵」と呼ばれた日野市。その米作りを支えた日野用水の開削450周年記念特別展が、同市神明の市立新選組のふるさと歴史館で開かれている。考古学的資料や古文書などから、用水の歴史と価値を考える内容だ。 (林朋実)

 中世までは今のJR日野駅西側に村があって米作も小規模だったが、江戸時代になるとその一帯が広大な水田になり、村は現在の同駅東側に移ったことが発掘調査から分かっている。この土地利用の大きな変化をもたらしたとみられるのが、戦国時代に多摩川からひかれた日野用水だ。

 市内の旧家に伝わる江戸時代の文書には、美濃国(現岐阜県)から日野に来た佐藤隼人(はやと)という人物が一五六七年に日野用水を掘らせたと記されている。用水が網の目のように張り巡らされ、豊かな水を利用できた市内の低地では、昭和三十年代まで一面の水田が広がっていた。多摩地域での一村あたりの石高の番付では、江戸中期のものでも明治初頭でも「日野本郷」が一番だった。

 昭和三十〜四十年代になると、用水に工場や家庭の廃水が流されて水質悪化が深刻な問題になったが、その後市民と行政が水辺の環境を守る取り組みを続けている。

 展示ではこうした歴史を、奈良時代の遺跡から出土した農具、江戸時代の文書や絵図などの資料五十点で紹介。現代の用水周辺で見られるトンボなどの標本、カワムツなどの生きた魚も展示している。

 主催する市郷土資料館学芸員の秦哲子(さとこ)さんは「日野用水は、人々の生活を支えた文化遺産。すてきな環境を未来に残すため、展示を見て、用水が日野の宝だと再確認してもらえれば」と話した。

 月曜休館で十二月三日まで。入館料二百円(小中学生五十円)。問い合わせは市郷土資料館=電042(592)0981=へ。

 

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