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故小林侍従日記要旨

政治

2018年8月24日 朝刊

1990年11月12日の「小林忍侍従日記」。天皇陛下の「即位礼正殿の儀」を巡り、「ちぐはぐな舞台装置」と記されている

 1974年7月23日 故東久邇成子(ひがしくに・しげこ)様御命日につき終日吹上においで。

 76年1月1日 四方拝が終り、侍従長は直接庁舎にお帰りになった。6時近くまでそのまま起きていたが(中略)掌典次長の御代拝が滞りなく終了した旨の復命を受けた。(中略)すぐ御居間に伺ったところお上はお机に向い日記らしきものをおつけになっておられたので、復命を申しあげた。候所でまた服をぬいで床に入った。7時ごろ起床し、朝食をとった。

 2月26日 2・26事件の当日に当るので宮殿にお出ましなし

 7月23日 照宮さまの御命日のためお出ましなし。

 77年8月23日 記者クラブとの御会見。10・05〜10・55 嚶鳴亭。(中略)終戦後の天皇の“人間宣言”に関して冒頭に五箇条の御誓文があることについて、わが国は民主主義は戦後輸入されたものでなく、すでに明治大帝はそのような思召しであったということをマッカーサーも認め之を入れることの天皇の考へに賛成したのだという。

 26日 23日の記者会見のことについて記者側の評価は極めて高く好評。お上も侍従長、山本氏の心配をよそにあれくらいはしゃべってもよいのではないかと意気昂(※注1)たるものがあるという。

 78年3月8日 祐子(さちこ)内親王殿下50年式年祭のため宮殿へのお出ましなし。

 83年7月23日 東久邇成子様御命日のため終日お出ましなし。

 85年2月26日 昭和12年(※注2)の2・26事件の日のため、午前中宮殿へのお出ましなし。午後は進講あり。

 3月8日 久宮(ひさのみや)祐子内親王殿下御命日につき宮殿へのお出ましなし。

 7月23日 東久邇成子様御命日のためおでましなし。

 8月9日 長崎原爆の日につきおでましなし

 88年3月8日 久宮内親王殿下御命日お出ましなし。

 90年11月12日 即位礼について感想

(1)習礼を5回もする必要は全くなかった。細部のことに調整にこだわりすぎたのではないか。(中略)特に心外だったのは、国璽(こくじ)、御璽(ぎょじ)の高御座(たかみくら)内の置場について法制局(しかも長官あたりというが)が細かなくちばしを入れてきたことだ。何処(どこ)に置かうが、高御座内も持ち込めば十分であって、目立たない所に置くと、宗教色を薄めるために国璽、御璽を持ち込んだ目的が達成されないというのだろうが、何と小心なることか。(中略)

(4)諸役は古風ないでたち、両陛下と同様。高御座、御帳台(みちょうだい)も同様。之れに対し、松の間に候する者のうち三権の長のみは燕尾(えんび)服・勲章という現代の服装。宮殿全体は現代調。全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典。参列者は日本伝統文化の粋とたたえる人もいたが、新憲法の下、松の間のまゝ全員燕尾服、ローブデコルテで行えばすむこと。数十億円の費用をかけることもなくて終る。新憲法下初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる。

 (※注1)77年8月26日は意気軒昂の「軒」の字が抜けているとみられる。

 (※注2)85年2月26日の「昭和12年」は「昭和11年」の誤りとみられる。

(表記は基本的に原文のまま)

 

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