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忠犬ハチ公広めた 斎藤弘吉 日本犬保存 功績に光

社会

2018年8月14日 夕刊

国立科学博物館に展示されているハチ公の剥製=東京都台東区で

 日本一有名な秋田犬・忠犬ハチ公の東京・渋谷駅前の銅像が、戦後に再建されてから十五日で七十年を迎える。秋田犬は今でこそ、ハチの物語がハリウッドで映画化されたり、ロシアのプーチン大統領に贈られたりと海外でも大活躍だが、ハチが生きた大正末期〜昭和初期には絶滅の危機にひんしていた。これを救ったのが日本犬研究家の斎藤弘吉(一八九九〜一九六四年)。斎藤の功績を後世に伝える動きも出ている。 (神谷円香)

 ハチの剥製は、上野の国立科学博物館で今も、秋田犬の貴重な資料として常設展示されている。今年四月には愛着を深めてもらおうと、飼い主の上野英三郎博士との物語をつづったパネルを追加した。

 斎藤がハチと出会ったのは、東京美術学校(現東京芸術大)生だった一九二四年。博士が教授を務めていた東京帝国大(現東京大)農学部の門近くで、立ち耳で巻き尾の秋田犬を見た。「あまりにも見事な犬で、犬を飼うならこんな犬を飼いたいと思った」と著書に記している。

日本犬保存会を立ち上げ、ハチを見いだした斎藤弘吉=渋谷区郷土博物館・文学館提供

 斎藤はその後、陸軍に入隊するも体調を崩し除隊。療養の散歩用にハチのような犬を求めて、秋田犬発祥の地でハチも誕生した秋田・大館を訪ねた。そこで斎藤は、雑種化によって純粋種が減少し、地元有志による秋田犬保存会ができたと知る。斎藤も「日本固有の犬を絶滅から救ってみよう」と二八年、日本犬保存会を立ち上げた。

 ハチとの再会もその頃。渋谷駅前で亡き博士を待ち続けるハチは近所の人たちにかわいがられる一方、顔に墨でいたずら書きがされるなど邪魔者扱いされていた。心を痛めた斎藤の投書が「いとしや老犬物語」と題して三二年十月四日付の朝日新聞に載ると、ハチの存在は広く知れ渡った。

 日本犬保存会は秋田犬や柴犬など六種ある天然記念物の基準を明確化し、犬の戸籍「犬籍簿」や血統書作りを通じて保護に努めてきた。秋田犬については現在、秋田犬保存会への登録が多く、二〇一七年までに累計約七十三万匹が登録。近年、国内の登録数が二千匹台で推移する傍ら、海外は一一年まで二桁だったのが、一六、一七年は約四千匹ずつ増えている。一九八七年公開の日本映画「ハチ公物語」が〇九年にハリウッドでリメークされ、海外人気に火が付いたようだ。

 斎藤の功績は、渋谷区郷土博物館・文学館で十月八日まで開催中の企画展「ハチ公と忠犬ハチ公像」で紹介されている。

東京・渋谷駅前の忠犬ハチ公像

 三月まで日本犬保存会の専務理事だった卯木(うき)照邦さん(75)は「斎藤さんがいなければ日本犬はいなくなっていたと思う。その辺の野原にいる犬を保存しようとは誰も思わなかったでしょう」と話している。

<忠犬ハチ公と銅像> 現在の東京都渋谷区に住んでいた東京帝国大(現東京大)教授の上野英三郎博士が1924年、秋田・大館で生まれた秋田犬を子犬から飼い始めた。翌年に博士が急逝した後も、博士がよく使っていた渋谷駅に通い、35年に11歳で死ぬまで亡き主人を待ち続けた。駅前の初代の銅像は34年、ハチの生前に完成したものの、戦時中に軍への金属供出で溶解された。48年8月15日の終戦記念日に合わせて再建された。

 

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