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<わたしの転機>好きなことに定年なし 憧れだったマリンスポーツ 念願のウインドサーファーに

暮らし

2018年8月22日

新舞子海岸でウインドサーフィンの練習に励む河合正克さん=愛知県知多市で

 愛知県知多市の河合正克さん(75)は、ウインドサーファーの「聖地」といわれる同市の新舞子海岸を拠点にするウインドサーファーだ。定年退職後に始めて14年。仕事一辺倒だった会社員時代から憧れていたマリンスポーツにのめり込むことで、「いくつになっても、好きなことは頑張れる」ことを周囲に示している。

 ウインドサーフィンに出合ったのは六十一歳のとき。再就職した会社の取引先に趣味にしている人がいて、体験教室に誘われたんです。見学すると、水しぶきを上げながら、波の上を時速五十キロや六十キロで走っている。なんとも爽快でね。「これやっ」と、すぐにとりこになりました。

 実は五十六歳のころ、海に近い知多市に一軒家を買って、家族で名古屋市から引っ越していたんです。もともと泳ぐのが大好きだったので、「定年後はマリンスポーツや」と思っていました。

 会社員時代は、マリンスポーツに挑戦する暇はまったくなかった。生まれは名古屋市ですが、戦争の影響で父親の知人を頼って転居した神戸市で育ち、そのまま本社が神戸にある会社に就職。営業に全国を駆け回りました。日付をまたいで働くこともしばしばで、最後に赴任した名古屋では営業所長として業績を黒字にできました。仕事第一が当たり前の時代だったから、不満はなかったですが、一方で「このまま仕事を辞めても、何もやることがないな」と、第二の人生への不安もありました。

 ウインドサーフィンは風の向き、潮の流れをうまく読めないと、すぐ沈んでしまう。セイルに風を受けて滑走できるようになるのに三年かかりました。初めてできたときは、海の上で「やったー」と叫びました。

 会社員時代にも業績が上がると達成感はありましたが、好きなことが一つずつ上達していくうれしさは格別。完全に退職してからは冬でもほぼ毎日、海に出て教わっています。十四年間続けてこられたのは、この達成感のためです。

 新舞子海岸を拠点にする人はおよそ二百人いるそうです。かつては、知り合いにも私より高齢の人がいましたが、病気などで引退。新舞子では、今は私が最年長だと思います。

 体が動く限り海に出続けたい。そのことを通じて、年を取ってもできることを若い人たちに示したいし、同年代の人たちに、好きなことならいくつになっても頑張れるということを伝えたいです。 (添田隆典)

 

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