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「三渓園」整備 原三渓生誕150年 「功績知ろう」相次ぎ催し

神奈川

2018年8月21日

鶴翔閣の前に立つ吉川さん(右)と広島さん=中区で

 室町〜大正時代の建築物などが観賞できる日本庭園「三渓園」(横浜市中区)を整備した原三渓(1868〜1939年、本名・富太郎)の生誕から150年を迎えた。三渓は経済人、文化人として横浜の発展に尽くした人物。同園は「三渓の功績を知るきっかけにしてほしい」と複数のイベントを企画し、来場を呼び掛けている。 (志村彰太)

 三渓は岐阜市の地主・青木家の長男として生まれ、東京専門学校(現早稲田大)で学んだ。一八九一年、横浜の生糸商・原善三郎の孫娘と結婚して家業を継ぎ、富岡製糸場(群馬県)と横浜興信銀行(現横浜銀行)の経営にも携わった。関東大震災後は政財界の関係者でつくる復興会の会長も務めた。

 三渓園は明治中期に善三郎が自宅として建てた松風閣のほか、三渓が京都や和歌山などの建築物を移築して整備し、一九〇六年に一般公開を始めた。第二次大戦後、土地と建築物は市に譲渡され、公益財団法人「三渓園保勝会」が管理。十七万五千平方メートルの敷地に立つ十七棟のうち、十棟が国の重要文化財(重文)になっている。

 市民団体「原三渓市民研究会」会長で同園ガイドボランティアの広島亨さん(73)は「西洋的価値観が急速に浸透した時代に、三渓は日本の歴史と文化を守りたかったのではないか」と分析する。保勝会の吉川利一・事業課長(52)は「横浜の歴史に欠かせない三渓のことを学校で習う機会が少ない。節目の年に多くの人に知らせたい」と話した。

 三渓の旧暦の誕生日に当たる今月二十三日は、入園料(高校生以上七百円、小中学生二百円など)を無料に。九月二十四日は国重文の臨春閣(りんしゅんかく)で、三渓が大震災の復興を願って作詞した歌「濱(はま)自慢」を日本舞踊に乗せて初めて披露する。十一月十日は三渓が生活した鶴翔閣(かくしょうかく)で、貿易でなした財を社会に還元した三渓の生涯を広島さんらが解説するシンポジウムがある。問い合わせは三渓園=電045(621)0634=へ。

 

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