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<つなぐ 戦後73年>川崎大空襲語り継ぐ 橋本稔さん

神奈川

2018年8月15日

焼夷弾の模型化など、分かりやすく伝える工夫を語る橋本さん=中原区で

 身近に起きた戦災の記憶を次世代につなぐことが、平和の「種まき」になる−。川崎大空襲のすさまじさを語り継ぐ川崎市中原区の橋本稔さん(74)はそう信じ、仲間とともに、分かりやすく伝える努力を重ねてきた。秋の臨時国会への改憲案提出が取り沙汰される中、「私自身も学びながら、若い人たちに戦争の実相を伝えたい。それが今こそ重要」と語る。 (石川修巳)

 橋本さんが参加する「川崎中原の空襲・戦災を記録する会」が今月六日、市平和館で開いた学習会。「いっしょに調べ・考える」をテーマに、小中学生の男女七人が参加した。

 一九四五年四月の川崎大空襲では約一万三千発の焼夷(しょうい)弾が投下され、市街地は火の海に。地域の古老から集めた証言などを基に、命や暮らしに大きな被害をもたらした戦争の事実を子どもたちに説明した。

 橋本さんが昨年手作りした焼夷弾の模型(直径約五十センチ、全長約一・五メートル)も展示。三十八本の子弾が上空で分離し、一斉に降り注ぐ「E46集束焼夷弾」の仕組みが分かるように模型にしたのは、いかに被害を拡大させるかが目的だった戦争の実相を明らかにする工夫の一つだ。

 「見たこともないものだから、子どもたちは関心を示してくれた。分かってもらえたかな」

 ほかのメンバーも紙芝居や朗読、落語などの形で、戦災を語り継ごうと努力している。橋本さんは「今ある平和や民主主義、自由の土台には何があったのか。若い世代の自覚が大切だし、そのために私たちも手をこまぬいていられない」と決意している。

 

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