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<田中美南のホームタウンかわさき>宮崎第3公園 小中学生の時に練習

神奈川

2018年7月17日

田中選手が、小学校の授業が終わると駆けつけ、ボールを蹴り続けた宮崎第3公園の広場=宮前区で

 みなさん、お久しぶりです。二カ月ぶりのコラムになります。その間に日本代表の一員としてニュージーランドに遠征し、六月十日に行ったニュージーランド代表との国際親善試合でハットトリック(3得点)を決めました。

 前半の17分に蹴ったボールが相手に当たって、ゴールキーパー(GK)の頭上を超えて、ラッキーな形で先制点を決めました。直後に追いつかれましたが、34分に勝ち越しゴールを決めると、44分には頭で合わせて3点目。代表戦では初めての経験となるハットトリックでした。

 2、3点目は相手との駆け引きに競り勝ったゴールで手応えを感じました。でも、後半のチャンスに得点できなかったので満足はしていません。七月下旬に米国遠征があるので、そこでも活躍できるように練習を積んでいます。

 小学校一年生から川崎市内の少年サッカークラブに入って本格的にサッカーを始めました。そのころは、今のフォワードのポジションのような得点するという感覚はなく、ボールをたくさん蹴りたいという気持ちが大きかったように思います。

 クラブの練習は土、日曜日だけなので、それではサッカーに打ち込む時間が少なく感じていました。そこで、通っていた市立宮崎台小学校の南側に隣接する「宮崎第3公園」が自己練習のピッチになりました。

 小さな公園ですが、うまい具合に両サイドに木が数本立っていて、その木をゴールに見立てて、試合やシュート練習などができるのです。毎日、午後の授業が終わるのが待ち遠しく、公園に飛び出すと三歳上の兄や中学生に交じって必死にボールを蹴り、追い掛けました。

 外灯があったので空が暗くなってもボールが見え、気が付いたら夜の八時を過ぎていたなんてことも。小学校の低学年で、高学年や中学生とは実力が違いましたが、やさしく教えてくれたのでどんどんサッカーにのめり込んでいきました。

 帰るときには中学生に向かって「あしたも来いよ」とため口で声をかけ、来なかったときは翌日に「なんで来なかったんだよ」と怒っていました。敬語を知らなかったのですが、とにかく生意気なサッカー少女でした。

 この公園で中学卒業までサッカーに打ち込んだことが、今の得点感覚を養わせてくれたのかもしれません。当時の中学生の先輩たちとは今も連絡を取り合っています。第3公園とともに、私にとって忘れることができない存在になっています。 (随時掲載)

<たなか・みな> 1994年4月28日生まれ。川崎市宮前区で育ち、宮前平中時代に日テレ・ベレーザの下部組織に所属。県立百合丘高校時代にベレーザに昇格した。現在はベレーザ主将。ポジションはFW。なでしこリーグで昨年、2年連続で得点王。日本代表。

 

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