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桂歌丸さん死去 三吉演芸場存続「師匠のおかげ」

神奈川

2018年7月4日

横浜橋通商店街に設けられた献花台。歌丸さんの死を悼む人がひっきりなしに訪れた=横浜市南区で

 「歌丸師匠、本当にありがとう」。二日に亡くなった落語家桂歌丸さん(81)の横浜市南区の自宅周辺では、三日も死を悼む声が相次いだ。四十一年にわたり公演を続けた演芸場の社長は感謝の言葉を口にし、名誉顧問を務めていた横浜橋通商店街に設けられた献花台では多くの人が花を手向けた。 (鈴木弘人)

 「歌丸師匠がいなければ今の演芸場はありません」。三吉演芸場の本田博社長(69)はこう振り返った。

 一九七三年、演芸場をリニューアルする際、ご近所の縁で歌丸さんが出演。翌年から年五回の独演会が始まった。途中で「桂歌丸一門会」に名前を変えながら二〇一四年まで約百九十回続いた。

 その間、娯楽の多様化などで演芸場の客足が鈍り、一九九四年には存続が危ぶまれる事態に陥った。歌丸さんは「三吉演芸場を残す会」を結成して自ら会長を務め、資金集めに奔走。老朽化した演芸場の建て替えが決まった。歌丸さんは工事の期間中も別の場所で落語を披露し、なじみの客を楽しませてくれた。本田さんは「横浜に落語の文化を残そうと腐心していた。地元愛が強い方だった」と、その人柄をしのんだ。

 歌丸さんが長年、足しげく通った横浜橋通商店街には歌丸さんの落語がスピーカーで流れ、「歌丸師匠、本当にありがとう。心より御冥福をお祈りいたします」と書かれた横断幕が掲げられた。商店街の中ほどに設置された献花台では約千二百人が手を合わせた。

 主婦竹内真理さん(48)は「地域に根差していて、皆大好きだった。子どもの時から『笑点』を見ていたからとても残念」と話し、斉田善行さん(79)は「商店街のアイドルのような存在だった。よく最後まで落語を頑張ったなと頭を下げに来ました」と語った。

 

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