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千歳太夫、師匠思い意欲 九月文楽公演「良弁杉由来二月堂の段」

伝統芸能

2018年8月3日

 東京・国立小劇場の九月文楽公演の第一部(午前十一時開演)では、生き別れになった母子の再会を描く「良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)」が上演される。悲劇や不条理な物語が多い文楽にあって、珍しく大団円となる作品。クライマックスの「二月堂の段」の太夫(語り)をつとめる竹本千歳太夫(59)は「波乱のない場面だけに親子の内面を表現するのは難しく、それだけ挑み甲斐(がい)もある」と意気込みを語る。 (牧野容子)

 幼い頃に鷲(わし)にさらわれた息子を捜し求めて流浪の旅を続ける母と、東大寺の高僧(大僧正)となった息子との三十年ぶりの対面を描く「良弁杉−」は一八八七年初演。観音霊験譚(かんのんれいげんたん)を集めた「三拾三所花野山(さんじゅうさんしょばなのやま)」の一部として上演された。その後はしばらく途絶えていたが、一九二五年に二世豊竹古靱太夫(とよたけこうつぼだゆう)(のちの豊竹山城少掾(やましろのしょうじょう))らが復活させて上演。それが好評を得て、単独の演目として上演されるようになった。

 山城少掾は千歳太夫の師匠、四世竹本越路太夫の師匠で、千歳太夫にとっては大師匠(二人とも人間国宝)。五九年、山城少掾が引退興行で語ったのも「二月堂の段」だった。その年に、千歳太夫はこの世に生を受けている。

 越路太夫も「二月堂の段」を数回つとめた。その語りは今も千歳太夫の耳に残っていて、八八年一月、大阪・国立文楽劇場は特に印象深いという。

 「私は床の師匠の脇に白湯(さゆ)くみとして座っておりました。師匠は七十歳を過ぎていらしたにもかかわらず、三十代の良弁僧正の高い声の音を滑らかに出されて、上品でとてもご立派でした」

 自らも三十代の頃から勉強会でこの作品に挑み、たびたび師匠に稽古をつけてもらった。今年一月、国立文楽劇場の公演で「二月堂の段」の太夫に抜てきされ、九月の東京公演は、それ以来の配役となる。「大師匠と師匠が得意としてきた演目をつとめることはとても名誉なこと」と話す。

 特に母と子が再会を果たし、お互いの感情が一気に爆発するシーンについて「良弁さんは東大寺の大僧正、かたや母の渚(なぎさ)の方は身をやつしていても、お侍の奥方ということで、ここでは二人の品格がとても大切。抑制された中でその内面を表現する。難しいからこそ、毎回やりがいがあります」と気概を示す。

 越路太夫に入門し、今の名前をつけてもらってから今年で四十年。近年、次々と大曲の重要な場面の語りを任されている。昨年、弟子をとって以来、師匠のことを思い出す機会が増えたという。

 「師匠の語りに少しでも近づけるように努力したい。自分の芸を磨くことは、先達に近づこうとすること。その姿を後輩に見せながら、自分なりにバトンを渡していかなくては」と熱く語った。

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 第一部はほかに「増補忠臣蔵(ぞうほちゅうしんぐら)」。第二部(午後四時開演)は「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」。国立劇場チケットセンター=(電)0570・07・9900。

<たけもと・ちとせだゆう> 1959年5月、東京生まれ。78年四世竹本越路太夫に入門し、千歳太夫を名乗る。79年初舞台。82年文楽協会賞、2016年度国立劇場文楽賞文楽大賞など受賞多数。

 

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