XMenu

歌丸さんを悼む 話芸伝承貫いた 美しかった言葉・高座姿

伝統芸能

2018年7月6日

 二日に八十一歳で死去した落語家の桂歌丸さんの芸や誠実な人柄を、親交があった演芸評論家で横浜にぎわい座チーフプロデューサーの布目英一さんが振り返った。

 桂歌丸師匠の落語は、陽気で明快で誰もが親しめるものだった。きれいな言葉を明るい声質で語尾まで明瞭に発音した。落語は大衆に向き合っていなければならないという思いを実践していたのだろう。

 功績の一つに三遊亭円朝作の長編人情噺(ばなし)「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」や「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」の口演がある。特に「累ケ淵」は人間関係が複雑で、円朝の速記本を読んでも内容がつかめない。しかし、歌丸師匠は一席ごとに分かりやすく伝える工夫をしていたので、鮮明に理解できた。

 高座姿も美しかった。手の動きがきれいで、趣味の歌舞伎鑑賞が自身の芸に昇華していると感じた。「おすわどん」「鍋草履」「城木屋」といった埋もれた演目の掘り起こしを多数行ったことも功績の一つ。その中には「毛せん芝居」「辻八卦(つじはっけ)」など歌舞伎の素養が求められる演目も含まれている。

 横浜の遊郭の家に生まれ育った。商いを営む上での信仰や年中行事、昔ながらのしきたりを大切にする環境がそこにはあった。古典落語が描く世界は歌丸師匠の幼少期の日常生活そのままであり、人情、気配りといった日本人の持つ美徳がさまざまな形で描かれている。落語は単なるお笑いではない上質の芸であるという自負を持っており、この芸がいつまでも伝承されていくことも願っていた。円朝作品の口演はCDやDVDで商品化されている。後進の落語家の参考テキストになるようにという思いがあってのことだと聞いている。

 横浜にぎわい座の設立に尽力されたのも芸人の道場を増やしたいという考えからだった。二代目館長に就任され、私は一職員としてお世話になった。国民的スターなのに常に職員に丁寧にあいさつされた。高座の上がり下(お)りにはスタッフに「お願いします」「ありがとうございます」と頭を下げてくださった。

 落語家の出囃子(でばやし)はお囃子さんの三味線に合わせて前座が太鼓をたたくものだが、楽屋仕事に夢中になって舞台袖に来るのが遅れることがたまにある。そんな時は歌丸師匠が率先して太鼓をたたいた。年末恒例の「歌丸・円楽二人会」でも三遊亭円楽師匠と二人で楽しそうに太鼓をたたいてくれた。

 最後の高座は四月の国立演芸場定席。私は十七日の口演を拝見した。「小間物屋政談」を四十分以上かけて演じた。酸素吸入器が手放せないのに不規則な息継ぎや間延びもないすばらしい芸だった。落語に対するひたむきな思いと精進を感じた。

 

この記事を印刷する