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「#Me Too」運動 許されぬアートの暴力 中島岳志

論壇時評

2018年4月25日

 写真家・荒木経惟(のぶよし)(通称「アラーキー」)のモデルを長年つとめた女性が、ウェブページ「note」で告発を行った(KaoRi「その知識、本当に正しいですか?」4月1日)。

 荒木による過激で身勝手な撮影によって精神的に深いダメージを受け、日常生活に支障をきたしてきたというのだ。

 KaoRiは、パリと東京を往復するダンサーとして活躍する中で荒木と出会い、モデルを務めることになった。二〇〇一年から一六年までモデルの仕事を行ったが、その間、荒木の「私写真」「感性よりも関係性」という写真論に振り回される。

 「私写真」とは、撮影者の私的生活を被写体とした写真で、荒木が妻との新婚旅行を撮影・出版した『センチメンタルな旅』(一九七一年)が代表的なものとして知られる。身近な人間との個人的な関係性を作品化することに特徴があり、写真表現の有力なジャンルの一つと見なされてきた。

 荒木によるKaoRiの撮影は、当初、スタジオでのごく普通のものとして始まったが、次第に「どんな瞬間も逃さず撮られるようになり」、ヌードを要求されることが多くなる。そして、ある時から「ミューズ」と呼ばれ、疑似的な愛人として表象されるようになる。

 撮影は「全てが過剰で過激」。時には部外者を入れてのヌード撮影を強要され、「ミステリアスで、なんでもする女」というイメージが戦略的に拡散された。

 KaoRiは苦しみ始める。「アラーキーのミューズでいることと日常生活を両立させるのは、ギャップが大きく」、「隠れるように生きる毎日」が続いた。

 ストーカー被害。インターネット上に勝手に挙げられた映像。周囲からの視線。

 心労が重なり、ストレスのあまり意識を失って倒れることもあった。荒木に改善を訴えたが、身勝手な「過剰」は止まらない。周囲は有名芸術家の武勇伝として容認する。「どのように私を傷つけているかということには一切聞く耳を持とうとはせず、モノのように扱い続け、行動を改めようとすることはありませんでした」

 一方、「私写真」としての荒木作品は国際的な評価を得ていく。作品の中の疑似的な関係性が独り歩きし、生身の「私」が飲み込まれていく。

 ボロボロになり、自殺まで考えるようになる中、KaoRiは荒木との関係を解消する。環境の改善を強く訴えると、「“ミューズ役”を突然クビにされ」たのだ。

 時間が経過し、少し気持ちが落ち着いた頃、アメリカで「#Me Too(私も)」運動が始まった。「それを見て、これ以上彼の作り上げた虚構に身を捧(ささ)げる必要はないんだと思い」、警察や弁護士などの意見を聞いて回った。そして、ブログでの告発に至る。

 問題は、残された作品である。

 「今も、個展などで私の写真が使われ続けているのを見ると、この時間が蘇(よみがえ)ります」「一度撮られたら死んでも消してもらえない写真芸術という行為の恐ろしさを、今になって一層強く感じています」

 写真史を研究する戸田昌子は、自身のツイッター(4月8日など)でKaoRiの告発に反応し、コメントを出した。戸田いわく、「荒木の『私写真』は終わる」「いや終わらなければならない」。

 荒木の「私写真」は、ミステリアスな「女」を演じさせられる弱者がいてこそ成り立つ。両者の非対称的な共犯関係が、作品を生み出す。そして、それは「人生の痛ましい真実」を映し出したものとして「私たちの心を打つ」。作品は普遍的な価値を持ったものとして消費され、流通する。

 しかし、戸田は言う。「もう、その痛みは充分なんだよ。それが彼女の告発だろうと思う」

 「#Me Too」運動が強調してきたことは、被害者の二次被害(セカンドレイプ)という問題だ。被害者は名前や顔を出すことで、社会からのまなざしに晒(さら)される。心の傷が完全に癒えることはなく、加害者の存在が意識されるとフラッシュバックが起き、心身のバランスを崩してしまう。

 「私写真」の二次被害は深刻である。なぜならば、「私写真」というコンセプトは、その悪夢のような関係性までも作品の中に取り込み、新たな解釈を付加する形で流通するからだ。写真に現れた「関係性」や「痛み」が作品としての位置を占めるとすれば、今回の告発もまた、作品というアートの中に回収されてしまう。告発までもがアートの一部を構成してしまい、新たな消費が始まる。写真の見え方が変わることによって、新たな作品として起動してしまう。

 KaoRiの告発には、絶望的な一文が含まれている。彼女は、この告発が「彼の作品鑑賞の一つの視点にしてもらえたらそれでもう十分」だと言う。作品を根本から否定することが許されず、告発までもが作品に飲み込まれていく。

 「#Me Too」運動は始まったばかりだが、一つ一つ丁寧に課題を克服して行かなければならない。アートが暴力の免罪符になってはならない。 (なかじま・たけし=東京工業大教授)

     ◇

 荒木経惟さんの事務所は今回の告発について、本紙の取材に「個別の取材には応じられない」としている。

 

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