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古市憲寿「平成くん、さようなら」 鴻池留衣「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」 佐々木敦

文芸時評

2018年8月29日

 今月は「今」をテーマにした中編が三つも並んだ。今の世界、今の社会、今の時代、今の日本。

 古市憲寿(ふるいちのりとし)「平成くん、さようなら」(『文学界』9月号)は、同誌4月号の「彼は本当は優しい」に続く、人気社会学者の二つ目の小説である。「平成くん」は語り手の女性の彼氏のファーストネームで、「ひとなり」と読む。彼は一九八九年一月八日、すなわち「平成」の始まりとともに生まれ、大学の卒論が二〇一一年三月十一日の東日本大震災に関連づけられて書籍化されたことをきっかけに、あっという間にメディアで引っ張りだこになった。有名な漫画家だった亡き父親の著作物の管理をしながらアニメのプロデュースやイラストを手掛けている「私」は、平成と付き合うようになり、現在は同居している。物語は、彼女が平成から「平成」が終わるとともに安楽死をしようと思っていると告げられたことから始まる。

 誰もが平成に作者自身を重ねて読んでしまうわけだが、私はテレビを普段まったく観(み)ないので、古市憲寿と「平成くん」が、どの程度似ているのかはわからない。実際よりもさらに人間らしさの足りない無機質な人物として描かれているようにも思える。それはともかくとして、作者の狙いはもちろん、このような非常にフィクショナルな設定を使って平成という時代の終焉(しゅうえん)を浮かび上がらせようとしたということだろう。そしてそれはかなり成功している。情報量の多い内容を軽快に捌(さば)きつつ、きわめて読みやすい文体でサクサクと進んでゆくストーリーは、ラストで思いがけぬ湿度を帯びる。

 だが私にとって最も興味深いのは、何よりも古市憲寿がこれを書いたということである。超のつく多忙の中で、わずか半年のあいだに、それなりのヴォリュームを持った小説を二編も文芸誌に発表するなんて。彼にはこんなことをする必要はまったく無いはずである。ということはつまり、明らかに彼は書きたいから書いているのだ。その動機が何によるものなのかはわからないが、学者の余技とは到底言えない力の入り方には感心させられた。次作にも期待したい。

 鴻池留衣(こうのいけるい)「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」(『新潮』9月号)は、本欄でも絶賛した「ナイス・エイジ」(『新潮』17年7月号)に続く「ポスト真実時代の文学」である。今回は小説の大部分が「ダンチュラ・デオ」というバンドのウィキペディアというユニーク極まる体裁を取っている。このダンチュラ・デオ、大学のバンド・サークルに所属する男がネット上に創り出した嘘(うそ)八百の存在−過去に実在した同名のバンドのコピーをしているという設定−だったはずが、いつの間にかひとり歩きを始め、それはやがて歴史の暗部にかかわる国家間の謀略と闘争に辿(たど)り着く。特に中盤からは急速に虚実が混乱していき、とんでもなく荒唐無稽な展開になるのだが(新聞では絶対に紹介出来ないような陰惨で猥雑(わいざつ)な場面もある)、それらもすべてはネット上の記述なのだから、真偽の判別は最終的に無意味になる。

 面白いのは、ダンチュラ・デオのボーカルが「僕」というアーティスト名であり、その結果、彼の出てくるウィキペディアの客観的な記述が「僕」の一人称に読めてしまうということである。読んでいると実に奇妙な感じがしてくる。こんな人を喰(く)ったアイデアも含めて、鴻池はまさに「いまの時代」の小説家と呼ぶにふさわしい。

 「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」は全編がフェイクで覆い尽くされた作品だが、青来有一(せいらいゆういち)の新作は「フェイクコメディ」(『すばる』9月号)という題名である。彼はこのところ、私小説の形式を借りつつ、その中に歴然としたフィクションを紛れ込ませる、という手法を採ってきたが、ほとんど長編と言っていい長さを持つ今度の作品には、なんとドナルド・トランプが登場する。長崎原爆資料館長の「わたし」は来春に定年を迎える(これは事実である)。五月のある日、とつぜんキッシンジャー元国務長官と名乗る老人がやってきて、今日の閉館後、トランプ大統領がお忍びで見学に来るので対応してくれと言われる。「わたし」は当然困惑する。「キッシンジャー」の話しぶりには妙なリアリティーがあり、容貌も本物と似ているようだ。だがもちろん疑いは消えない。「キッシンジャー」があまりにも流暢(りゅうちょう)な日本語を喋(しゃべ)ったからである。これはテレビか何かのドッキリ企画なのだろうか。そんな「わたし」の疑念をよそに、ネットには「トランプのそっくりさん」の目撃情報が続々と出始める。

 偽喜劇とは、悲劇を裏に隠した喜劇のことである。長崎を舞台とする小説を書いてきた「わたし」は、もしもトランプに会えたなら言ってやりたいことを、あからさまにフェイクの物語に託して、言う。偽ものの大統領が、彼にどう答えるのかは、ぜひ読んで確かめてほしい。

 (ささき・あつし=批評家)

 

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