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石橋正孝「なぜシャーロック・ホームズは『永遠』なのか−コンテンツツーリズム論序説」 坂口恭平「家の中で迷子」 佐々木敦

文芸時評

2017年11月30日

 群像新人賞の評論部門が独立し(以前は小説部門と一緒だった)、大澤真幸、熊野純彦、鷲田清一という、いずれも文芸評論家ではない、哲学者、思想家というべき三名を新たに選考委員に迎えてから、過去二回は優秀作入選のみだったが、遂(つい)に今回、当選作が出た。石橋正孝「なぜシャーロック・ホームズは『永遠』なのか−コンテンツツーリズム論序説」(『群像』12月号)である。

 石橋氏が二十年前に、名探偵ホームズがコナン・ドイル作のその「最後の事件」でモリアーティ教授との格闘の末に激流へと落ちていったことで有名な、スイスのライヘンバッハの滝を訪ねたときの記憶から書き起こし、近年一部で流行している、アニメやマンガなどのモデルとなった場所に実際に行ってみる「聖地巡礼」に代表される独特な行為を「コンテンツツーリズム(コンテンツ観光)」と名付け、その歴史的な経緯と現在における意味と意義を検証するという内容で、副題に「序説」とあるようにいまだ概論的な感もあるが、シャーロック・ホームズという誰もがよく知る創作上の人物を分析することで、従来の「作品」に対して「コンテンツ」という概念を立て、後者に生息する「キャラクター」の存在の特異なありようを描き出してみせる手際は鮮やかで、批評文を読むスリルに満ちている。

 然(しか)るに当選にまったく異論はないのだが、石橋氏にはすでに『<驚異の旅>または出版をめぐる冒険』『大西巨人 闘争する秘密』という二冊の著書があり(どちらも非常に優れた内容である)、現在は立教大学で助教を務める文学研究者であり、純然たる「新人」とは到底言えない。もちろん応募規定に違反しているわけではないし、内容的にも申し分ないことは確かだ。しかしやっと出た群像新人評論賞の当選作がいわば「プロ」の筆であったことに、私としてはいささか複雑な思いを禁じ得ない。いや、繰り返すが石橋氏にも選考委員たちにも文句は微塵(みじん)もない。ただ、ズブの新人よ、在野の連中よ、もっと頑張れ、と言いたくなっただけである。

 アカデミシャンによる文芸評論といえば、京都大学准教授の松本卓也が『文学界』12月号に「健康としての狂気とは何か−ドゥルーズ『批評と臨床』試論」を発表している。松本氏は『人はみな妄想する−ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』というめざましい著作で一躍注目された気鋭の精神分析学者、医師であり、これが文芸誌への本格的なデビューだと思う。

 仏の哲学者ジル・ドゥルーズの「文学論集」というべき『批評と臨床』に寄り添いつつ、ドゥルーズの思考における「深さ」から「表面」への重心移動を、精神の病としての「統合失調症」から「自閉症スペクトラム」への移行として位置付け直す刺激的な論考で、『人はみな妄想する』と同様、最新かつ細心の精神分析/精神医学の知見に基づく明快な論旨の運びに舌を巻いた。ここで提出されている「健康としての病(狂気)」という概念は文学のみならず、きわめて幅広い芸術文化、あるいはそれ以外の領域に適用可能なものだと言える。石橋氏の「序説」と同じく、松本氏の「試論」のさらなる展開を期待したい。

 精神の病といえば、厄介な病気と共に生きる日々を綴(つづ)った『坂口恭平 躁鬱(そううつ)日記』という著作もある坂口恭平の中編「家の中で迷子」(『新潮』12月号)が大変な傑作である。マルチな活動で知られる人物だが、小説家としては、ここのところ『現実宿り』『けものになること』と途轍(とてつ)もない力業の作品を立て続けに発表してきた。これも物凄(ものすご)い。題名の通り、どこよりもよく知っている筈(はず)の自宅で「迷子」になる話である。

 家の中で迷子になっていることに気づいた途端に、あっけなく空間も時間も魅惑的に錯乱し、荒唐無稽に跳躍し、果てしなく拡張して、小説はほとんど一行ごとに、ぐいぐい形を変えていく。トクマツやアゲハ、ハジやイシという不思議な人物(?)たちが次々と現れて、「私」や「僕」などといった一人称がほとんど用いられることのない、だが明らかにそこでこれを語っている何ものかに、たくさんの重要な事柄を教え知らせる。

 なにしろ「迷子」なのだから、筋道を見つけようとしても無駄である。普通の意味での「理解」や「納得」を思い切って放棄して、ひたすらに迷うことの絶対的な正しさを受け入れさえすれば、脳も心も体も震えるような熱量がどこからか溢(あふ)れてきて、しまいには最初から迷ってなどいなかったことに気づく。世界に対峙(たいじ)するのではなく、世界そのものであろうとする、生と死を描くのではなく、生も死も何もかも丸ごと全部呑(の)み込んでしまおうとする、これはそんな小説である。永遠に読み続けられる小説だ。

 松本卓也なら、石橋正孝なら、この小説をどう論じるだろうか?

 (ささき・あつし=批評家)

 

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