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ミヤギフトシ「アメリカの風景」 村上春樹『騎士団長殺し』 佐々木敦

文芸時評

2017年4月27日

 さる二月に例によって鳴り物入りで発売された村上春樹の新作長編『騎士団長殺し』について、文芸各誌が評論を載せている。『新潮』が椹木野衣(さわらぎのい)と上田岳弘(たかひろ)(同誌は先月号にもいしいしんじが長めの書評を寄せていた)、『群像』が清水良典、『すばる』が杉田俊介、『文学界』が小山鉄郎と鈴村和成と山崎ナオコーラと佐々木敦、『文藝』は通常の書評枠だが田村文(あや)と、さながら『騎士団長殺し』論バトル・ロワイヤル状態である。自分も「参戦」しているので滅多(めった)なことは書けないが、さすが村上春樹というべきか、論者によってかなり異なった読みが開陳されていて、あらためてこの国際的人気作家の多面性を思い知らされた気がする。

 謎めいた題名の通り、主人公にして語り手である肖像画家の「私」(そう、今回は「僕」ではないのだ)は次々と不可思議な出来事に遭遇する。老いたる高名な日本画家が秘(ひそ)かに描いた「騎士団長殺し」という一枚の絵画に込められた秘密とは何か。「私」の前に忽然(こつぜん)と現れる「騎士団長」の正体とは。「第一部 顕(あらわ)れるイデア編」「第二部 遷(うつ)ろうメタファー編」という奇妙な副題の意味とは。全体として、あたかも村上春樹が「村上春樹らしさ」をあからさまになぞったかのような作品になっており、むしろそのことにこそ真の意図が隠されている、と拙稿では論じた。この小説のある種の論じやすさは罠(わな)である。そして実際、ほとんどの論者が罠に嵌(は)まっているように思える(私も例外ではないかもしれないが)。

 文学界新人賞受賞作の沼田真佑(しんすけ)「影裏(えいり)」(『文学界』5月号)が、思いのほか読み応えのある秀作だった。

 医薬品を扱う企業の岩手支店に勤める三十過ぎの男性である「わたし」が、もとは同じ職場で、たびたび二人で釣りに出かけたりするほど親しかったのに、先方が転職して以後はあるきっかけから疎遠になっていった男が、どうやら思っていたのとはかなり異なる人間性を持っていたということを、東日本大震災をきっかけに知ることになる、という話だが、新人にしては相当に達者な文章で綴(つづ)られる清冽(せいれつ)な風景と魅力的な釣りの描写に気を取られていると、「わたし」の以前の恋人が性同一性障害者の元男性であることが極めてさりげなく述べられたり、日浅というその友人の悪(あ)しき「正体」を語る実の父親が披露するエピソードが、一体どういうことなのかさっぱりわからないものだったり、そもそも「わたし」が日浅に抱く感情がどのような類いのものなのかも定かではなくなってきて、この小説は読み進むほどにさまざまな引っかかりを生じさせ、意外なまでの深みと広がりを獲得してゆく。

 選考委員の何人もが選評で触れている「そもそもこの日浅という男は、それがどういう種類のものごとであれ、何か大きなものの崩壊に脆(もろ)く感動しやすくできていた」という実に印象的な一文も、その意味するところはひと通りではない。派手さは皆無だが、行間を読ませる術に長(た)けている。遅れてきた「ポスト3・11小説」としての佇(たたず)まいも慎(つつ)ましく、かつ大胆である。第二作が楽しみだ。

 新人賞受賞作ではないが「初小説」と銘打たれているミヤギフトシの「アメリカの風景」(『文藝』夏号)も良かった。ミヤギは彼自身のアイデンティティーと深く結びついた沖縄の米軍基地とセクシャリティを二つの大きな主題として、写真や映像、オブジェ、文章などから成る一連の作品で注目されてきたアーティストである。限りなくミヤギ自身を思わせる「僕」が、ニューヨークの友人ニルスのアパートで音楽を聴いたり映画のビデオを観(み)たりしている二〇〇五年を語りの現在時として、那覇の泊で通っていた小学校で出会った「薬くん」ことクリスと、クリスとは対照的な性格に見えたジョシュという双子の兄弟との、その後とびとびに続いた交流を思い出す。

 ミヤギの最近の映像作品には小説的と言ってもいいようなロマンチックな物語性を持っているものがあり、またブログや作品集に寄せた文章も独特の雰囲気があるので、いつか小説も書きそうだとは思っていた。初小説とは思えないほど読ませる文体といい、そこから浮かび上がるナイーヴで繊細な慕情といい、結末近くの、断り抜きに時間があちこちに跳躍を繰り返す、それでいて前衛ぶった難解さとは無縁の技巧といい、これは賞讃(しょうさん)されるべきデビュー作である。

 イベントで本人と話す機会があったのだが、最終的にこのかたちになるまでには改稿作業にかなりの時間を掛けたという。その甲斐(かい)はあったと言えるだろう。出来れば今後はアート作品と小説を並行して発表していきたいとも語っていた。「アメリカの風景」という、一見あまりに芸のない題名には、幾重にも複雑な想(おも)いが込められている。

 (ささき・あつし=批評家)

 

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