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舞城王太郎「Would You Please Just Stop Making Sense?」 岸政彦「ビニール傘」 佐々木敦

文芸時評

2016年8月30日

 小説にとって「結末」とは実に厄介なものだと思う。何であれ物語と呼べるような要素があるからには、当然ながら最後にはそれなりの決着を付けなくてはならない。説得力のある結末、なにげない結末、意外な結末、いろいろな結末のあり方が考えられるわけだが、小説には常に必ず「最後の一行」というものがあるのだから、そこまで読んだら全編の終わり、その続きはないということが厳然たる事実である以上、たとえ作者が敢(あ)えてあやふやな結末、謎めいた結末を用意したとしても、読者はただ、そういう結末として受け取るだけのことである。小説の有限性が「結末」の「結末」ぶりをどこまでも担保してしまうのであって、そこから逃れるには「未完」にするしかないのだが、それでは意味がない。だが、鮮やかな結末、見事な結末というものが、どこかうさんくさいのも確かなのだ。

 これは特にミステリー小説に顕著であって、どれだけ奇々怪々な事件が次々と起こったとしても、最後には名探偵が登場して、すべての謎を解き明かし、多少の紆余(うよ)曲折はあれ真犯人が明らかになる。そういうものだといえばそれまでだが、ミステリー嫌いの人が苛立(いらだ)つのは、世の中には「謎」だけがあって「解決」がないままの出来事が多々存在しているからである。しかし小説でそれをやろうとすると、なんとも中途半端というか、単なる出来損ないか失敗作のように見えてしまう。

 ミステリー畑から小説家としてのキャリアをスタートさせた舞城王太郎は、一貫してこの難題に取り組んできた。「解決」へと至らない「謎」の物語、「結末」を回避する小説を書くこと。久々の中編「Would You Please Just Stop  Making  Sense?」(『新潮』9月号)も同じ問題意識の延長線上にある。

 舞台はアメリカ、カリフォルニアで、語り手の「俺」は殺人課の刑事。あだ名はスポンジだが、本名は「マサツグ・タナカ」。異臭の通報があった一軒家のバスタブから三体の死体が見つかり、その下からまだ生きている男が発見される。男は実はニューヨーク市警の刑事で、彼の友達をストーキングしている巨大な女にスタンバトン(スタンガン機能の付いた警棒)で攻撃されて意識を失い、気づいたら死体と一緒にバスタブに押し込められていた。殺されていたのは全員男で、住所も年齢も全く異なっていて互いに無関係なようだが、しかし三人とも「ロベルト・アルフォンソ」という名前だった。そこに理由あってスポンジが同居している幼なじみのアンジェリーナの娘ジーナの謎めいた予言が絡んできて…。

 こうしてあらすじを記していても何が何だかわからないと思うが、この先もわけのわからないことが続々と起こる。そして普通なら、こうした展開の果てには「解決」が待っている筈(はず)なのだが、そのように小説は進んでいかない。過去の幾つかの舞城作品と同様、夥(おびただ)しい奇怪な「謎」を宙吊(ちゅうづ)りにしたまま、この作品は「結末」を迎える。

 明らかに舞城はわざとやっている。従って作者の狙い通りに仕上がっているのだが、しかしそれでもどうしても不満が残ってしまう。「解決」のない「謎」こそリアルなのだ、要するに世界とはそういうものなのだ、という真理の証明は、こういうやり方でしか出来ないのだろうか?

 乗代(のりしろ)雄介の群像新人文学賞受賞第一作「本物の読書家」(『群像』9月号)も、小説における「結末」の不可避性が仇(あだ)になっていると私には思えた。主人公は、親族間で孤立している高齢の大叔父を老人ホームに送り届けるため、共に茨城県高萩市までの列車に乗る。子細は不明だが、大叔父は若い頃に川端康成から貰(もら)った手紙を秘匿しているらしく、その所在を確かめるのが彼の隠れた任務である。そこに見ず知らずの男が話し掛けてきて、三人は「本物の読書家」談議に花を咲かせるのだが…。

 デビュー作「十七八より」に較(くら)べると格段に面白くなった。前作でも特徴的だった次々繰り出される文学ネタは、今回も鼻につくといえばつくものの、ここまでやればそれも味と言っていい。川端からの手紙をめぐる「謎」と、たまたま同じ車両に乗り合わせたかのような男の「謎」への興味によって最後まで読まされる。だがしかし「結末」が、舞城とは全く別の意味でだが、やはり弱い。無難に纏(まと)めてしまっている。物語を、小説を、必ず終わらせなければならないということは、かくも難儀なことなのか、と思ってしまった。

 評判になった『断片的なものの社会学』にも小説的な文章が含まれていたが、社会学者の岸政彦による初小説「ビニール傘」(『新潮』9月号)は、秀作である。大阪の片隅で生きる、若く貧しい複数の「俺」と複数の「私」の物語。意想外の幻想的な「結末」が待っているのだが、とても良い。これがビギナーズ・ラックなのかどうかは、次作を読んでみないとわからない。

 (ささき・あつし=批評家)

 

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