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村田沙耶香「コンビニ人間」 木村友祐「野良ビトたちの燃え上がる肖像」 佐々木敦

文芸時評

2016年7月28日

 第百五十五回芥川龍之介賞は、村田沙耶香(さやか)の「コンビニ人間」(『文学界』6月号)に決まった。この欄では取り上げていなかったので、感想を記しておきたい。

 題名の通り、コンビニエンスストアで働くひとりの女性の物語である。彼女は社会生活に必要な最低限の情緒が理解できない、いわゆる発達障害とされるような人間なのだが(たとえば幼い頃、彼女は死んだ小鳥を見て「お父さん、焼き鳥好きだから、今日、これを焼いて食べよう」と言ったりする)、コンビニでバイトすることになって人生が一変する。毎日するべきことがすべて完璧に決まっており、それをこなしていれば周囲からの評価や賞讃(しょうさん)が得られることに、彼女は「私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生した」と思う。

 以来彼女は模範的なコンビニ店員、いやコンビニ人間としての日々を、三十六歳になる現在まで送ってきたのだが、ある日、まともに働くことの出来ない(働く気のない)、それでいてプライドだけは高い男がアルバイトで入ってきたことから、物語が展開する。男はすぐ女性客へのストーカー行為によって店を辞めさせられるのだが、ひょんなことから彼女は彼を「飼う」ことになる。もちろん恋愛関係ではない。二人の間に性行為は一切ない。彼は他者からの非難(と本人が思っているもの)から逃れるため、彼女は家族や友人から恋愛や結婚についてこれ以上とやかく言われないために、相手の存在が都合良かったのだ。そして…。

 村田はこれまでも、世界/社会とちぐはぐであるしかない人間が、世界/社会の歪(ゆが)みや矛盾に自らを馴致(じゅんち)してゆくことによって、遂(つい)には生き甲斐(がい)のようなものを得る、という物語を繰り返し書いてきた。もちろんこれはグロテスクな物語である。だがしかし、それをあたかも肯定しているかのように、肯定せざるを得ないとでも言うかのように、肯定することが正しいのだとでも言うかのように描いてゆくところに、この作家の真骨頂がある。

 村田が現実にコンビニで今も働いていることが話題になっているが、この小説はいわゆる「フリーター小説」の問題圏からは離脱している。彼女が相手取っているのは、もっと普遍的な主題である。

 文芸誌の特集主義的傾向については何度も書いてきたが、今月も『文学界』が「怪」、『群像』が「マイソング」、『すばる』が「LGBT−海の向こうから」と、それぞれに趣向を凝らした特集を打っている。「マイソング」は日本のポップスの名曲をタイトルに冠した短編小説アンソロジーで、幾つか挙げると、滝口悠生(ゆうしょう)が広末涼子の「MajiでKoiする5秒前」を、青木淳悟がMr. Childrenの「innocent world」を、片岡義男がりりィの「私は泣いています」を、独自のタッチで料理している。ネタが何であれ、個性の強い作家は自分の世界に引っ張り込む。

 「怪」は「異色短編特集」と銘打たれており、ホラーとまでは言わないが(ホラー的なのもある)広い意味での「怪異」的な題材を扱った作品が集められている。藤野可織「怪獣を虐待する」はいつもながら題名と掴(つか)みは良いのだが、どうも結末が雰囲気に流れている気がしてしまった。SF畑からの越境組である高山羽根子「L.H.O.O.Q.」は掌編だが、淡々とした口調が効いている。一番面白かったのは小山田浩子「広い庭」。描写と語り自体から立ち上がる何とも言えない不気味さ。小山田は『三田文学』夏季号の短編「予報」も良かったが、そろそろ長めの作品が読みたい。

 木村友祐(ゆうすけ)「野良ビトたちの燃え上がる肖像」(『新潮』8月号)は、二年後にオリンピック(作中では名称を変えられている)を控えた、ほんの少しだけ近未来の神奈川県境の河川敷で暮らす「野良ビト」たちの肖像を描いている。とにかくホームレス生活の描き方に非常にリアリティーがある。二年先という絶妙な設定によって、格差や貧困や差別といった現在この国が抱える問題がさらに極まっていることが次第に明らかになり、事態はのっぴきならない様相を呈してゆく。力作と思うが、ラスト間際の話法の仕掛けはあまり感心しない。またそこを経た結末はいささかナイーヴなのではないだろうか。気持ちはわかるのだけど。

 仙田学「愛と愛と愛」(『文藝』秋号)は、序盤から畳み掛けるような悲惨な話のオンパレードに思わず引き込まれる。元アルコール依存症の塾講師と、実兄がマスメディアに騒がれる殺傷事件を起こしたことで人生が目茶苦茶(めちゃくちゃ)になったかつての教え子の、普通とはかなり違った恋愛のかたちを描いているのだが、最後まで緊張感が持続しないのが残念。それからこの作品、同じ『文藝』前号の、本欄でも取り上げた鹿島田真希「少年聖女」に、どことなく設定が似ている。むろん偶然なのだが、なんだか不思議な気がした。 (ささき・あつし=批評家)

 

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