XMenu

崔実「ジニのパズル」 中村文則「私の消滅」 佐々木敦

文芸時評

2016年5月31日

 蓮實重彦(はすみしげひこ)「伯爵夫人」(『新潮』4月号)の三島由紀夫賞受賞が「事件」だったとするなら、それは後期高齢者の元東京大学学長が受賞したからではなく、世が世ならば発禁処分になっていてもおかしくないほど淫乱で助平なあの小説が、天下の文学賞を射止めてしまったことにある。そのことに較(くら)べたら、作者がどのような経歴を持つ人物かなど大した問題ではない。記者会見で受賞者が繰り返し作品の内容にかんする質問を求めていたのは、ちゃんと読んだのかと疑う憤りというよりも、要するに意地悪だったのだ、と私は思っている。なにしろ公の場では三行だって朗読することが出来ないはしたない作品なのだから。ともあれ、当たり前だが候補に挙げられたからには受賞する可能性があるのであって、小説としての企(たくら)みとその達成度という点で「伯爵夫人」が受賞に値することは一読して明らかなので、ごちゃごちゃと騒ぐことはないのではあるまいか。

 群像新人文学賞を珍しく選考委員の満場一致で受賞したという崔実(チェシル)「ジニのパズル」(『群像』6月号)は、なるほど力強く魅惑的な作品である。それぞれタイトルの附された短めの断章形式で、在日韓国人ジニの物語が綴(つづ)られていく。アメリカ、オレゴン州の高校の場面から始まるが、ほどなく時間は巻き戻り、日本で生まれ日本語しか話せないジニが、日本の小学校でのはじめての被差別経験を経て、思い立って「東京で一番大きな朝鮮学校」の中学部に入学するが、教室でも校外でもマイノリティーとして扱われる日々に疑問と反抗心を蓄えてゆき、やがて学校の体育館に飾られた金日成と金正日の肖像画に対する或(あ)る行動に出て、その結果、日本を出てアメリカに渡り、有名な絵本作家ステファニーと出会うまでの経緯が、生き生きとした一人称で語られる。まず何よりもこの小説の魅力は、ジニの発する言葉の輝きだ。文自体に抑えつけようのないエネルギーが漲(みなぎ)っている。ジニは幼くはあるが精神的には紛れもない「革命家」であって、自分の内側の世界と世界の内にある自分をともに救うべく奮闘する。彼女がやみくもな闘いに賭ける希望と失望と更なる希望が、そのまま文章になっている。ところどころまだ生硬な部分もあるし、全体の構成はもっと緊密に仕立てられると思うが、まずは即戦力の新人と言っていいだろう。第二作が早くも待ち遠しい。

 内村薫風(くんぷう)「鏡」(『新潮』6月号)は、この覆面作家の過去作同様、人を喰(く)った、だが妙に考えさせられる話である。航空自衛隊のパイロットとして領空侵犯に対する緊急発進待機中の「私」の現在時の物語と、その十年前に「私」が地元で遭遇した虎騒動の顛末(てんまつ)と、学生時代に「私」がスペイン、プラド美術館で見たベラスケスの絵画にまつわる蘊蓄(うんちく)が、あっちこっち交錯しながら語られていく。三つのエピソードのつなぎ目となるのが「鏡」である。ベラスケスの謎に満ちた有名な作品「ラス・メニーナス(侍女たち)」に描かれた鏡(らしき物)の解釈には多くの美術史家や思想家が挑んできたが、作者はこの絵を逆手に使ってトリッキーな寓話(ぐうわ)を紡いでみせる。とりとめもない語り口に油断していると、結末に至って多数の伏線の鮮やかな回収ぶりに驚くことになる。やはりこの作家はクセ者だ。この作品も一種の「パズル」と呼べるかもしれない。だがそれは論理ではなく倫理的なパズルである。そしてこの倫理にはリアルな政治や外交にかんする作者の考えが含まれている。知的な悦(よろこ)びを喚起する実に手の込んだ作品である。

 中村文則「私の消滅」(『文学界』6月号)も、凝った仕掛けを持つ作品である。テーマはマインド・コントロール、人格改造。冒頭(ここからすでに仕掛けは始まっているのだが)「僕」と名乗る語り手と共に、謎めいた古いコテージの部屋に残された複数の「手記」を読み進むうちに、いつしか読者は迷宮に入り込んでゆく。サスペンスフルなミステリー仕立てで物語られるのは、これ以上ないほどに悲惨な人生を送ってきたひとりの女性と、彼女にかかわった男たちのグロテスクな運命の成り行きである。脳科学や精神医学の達成を突き詰めると、要するに「私」とは容(い)れ物に過ぎない。いや「身体」が「私」すなわち意識=精神=心の容れ物なのでは、と思われるかもしれないが、私から「私」を抜き取ってまったく別の「私」を挿(い)れることが可能だとしたら? 私が私だと思っている私の一貫性、私の同一性は、ほんとうに信頼にたるものなのだろうか? なぜならその「信頼」だって「私」がしているに過ぎないのだから…。心理的な、神経症的なスリラーであり、狭義のミステリーのジャンルでは似たような作品が幾つか思い当たるが、こういう小説が「文学」の雑誌で読めることが興味深い現象というべきなのかもしれない。

 (ささき・あつし=批評家)

 

この記事を印刷する