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宮内悠介「半地下」 戌井昭人「ゼンマイ」 佐々木敦

文芸時評

2016年1月28日

 第百五十四回芥川龍之介賞は、滝口悠生(ゆうしょう)「死んでいない者」(『文学界』12月号)と本谷有希子(もとやゆきこ)の「異類婚姻譚(たん)」(『群像』11月号)に決まった。それぞれ本欄で取り上げた作品であり、特に「死んでいない者」は絶賛した。実をいえば読後すぐに「次の芥川賞はこれに決まりだ」とさえ思ったが、そこまで露骨に書くのはさすがに憚(はばか)られた。二編の受賞作はタイプはまったく違うが、小説とは、文学とは、何よりもまず「文章」「文体」であるという当然の事柄をあらためて思い出させてくれる。本谷の劇作家ならではの闊達(かったつ)で絶妙な口調。滝口のごくごく自然なようで油断のならない語り。二人の実力は歴然としている。今後もさらなる高みを目指して突き進んでいってほしい。

 『群像』2月号で、前回の芥川賞を又吉直樹と共に受賞した羽田圭介の新連載「コンテクスト・オブ・ザ・デッド」が始まっている。第一回は一挙二百枚。映画ファンならすぐわかるように、この題名はいわゆる「ゾンビ映画」のパターンにのっとっており、実際この小説の舞台となる世界ではゾンビ(変質暴動者と呼ばれる)すなわち死んだまま蘇(よみがえ)った死者たちが街中をうろうろして生者を襲ったりしている。しかしこの荒唐無稽な設定の上で展開するのは、本欄がこうして毎月取り上げている、そしてもちろんこの作品が掲載されている『群像』を含む各文芸誌を中心とする「文学」の世界、いわゆる「文壇」の内幕もの、パロディーなのである。

 本が売れない純文学作家、見栄えだけで重宝される女流作家、話題作を書いた途端に手のひらを返す編集者たち。羽田の筆は辛辣(しんらつ)かつ滑稽で、かつて筒井康隆が書いた「文壇」をめぐるスラップスティック小説の傑作『大いなる助走』を思い出した。初回のラストでは文壇バーになんと夏目漱石(のおそらくゾンビ)が出現する。確かにこの世界ではすでに故人の文豪が続々と蘇ってきても不思議ではない。羽田は受賞後、ことによると又吉以上にテレビに出まくっているようだが、その弾(はじ)けっぷりが作品にも反映されている。今後どういう展開が待っているのかまるで予想がつかないが、問題作であることは確かである。

 『文学界』が特集にしろ小説にしろ従来の「文芸誌」からの脱却(?)をはかっていることは間違いないようだ。先月の朝井リョウに続いて、2月号には宮内悠介の文芸誌初小説となる百五十枚の中編「半地下」が掲載されている。宮内はSF畑出身で、デビュー作『盤上の夜』と第二作『ヨハネスブルグの天使たち』が続けて直木賞候補に挙げられた。純然たるSFに属する作品が直木賞候補になること自体が画期的であり、受賞はしなかったものの一躍注目を浴びた。すでにSFプロパーの雑誌以外でも活躍している。

 だが「半地下」はSFではない。幼少から少年期までをアメリカで過ごした「僕」の回顧譚である。なぜ、彼が海を渡ったのかといえば「運送屋の社長だった父があるとき大きな借金を作り、姉と僕を連れてはるばるニューヨークまで逃げて来た」からである。その父親はすぐに失踪してしまい、アップタウンの狭いアパートに姉と弟だけが残される。姉はやがて個性的なレスラーになる。日本語から英語の環境にとつぜん移動させられた「僕」は、周囲の人々とのかかわり合いの中で少しずつ成長してゆく。技巧的と言ってもいい鮮明な描写や時間経過の処理と、取り戻されようのない過去が孕(はら)む切実さの外縁を旋回しているかのようなナイーブな感覚が同居した不思議な感触の小説で、宮内の他の作品群の底にあるものを垣間見るような気がした。

 戌井昭人(いぬいあきと)の中編「ゼンマイ」(『すばる』2月号)も面白かった。一九六七年に「ジプシー魔術団」の一員として一年間の日本巡業を行った、体を小さくすることが出来る女ハファの消息を求めて、当時彼女と恋仲だった現在七十七歳の運送会社社長竹芝と、ひょんなことからガイド役を務めることになったライター業の「わたし」が、二人でモロッコに旅立つ。いかにも戌井作品らしい剛胆で放埒(ほうらつ)な竹芝のキャラクターが魅力的だ。

 作中でも言及されるが、モロッコはポール・ボウルズを筆頭にアメリカのビートニクの作家たちと縁の深い、ある種の文学の聖地のような土地である。戌井は以前からビートニクへの関心と共感を語っているが、いわばこの作品はビートニク風の竹芝の人生と旅を「わたし」が記録する、というスタイルを採っており、主役はあくまでも竹芝なのだが、しかし随所に「わたし」自身の無軌道ぶりも顔を出す。

 結末はしんみりさせるが、こういう話はこう落とすしかないだろうなとも思え、この手練をどう判断するかは読者次第かもしれない。ともあれ力作である。戌井はすでに五度も芥川賞候補になっているのだが、この作品はどうだろうか?

 (ささき・あつし=批評家・早稲田大文学学術院教授)

 

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