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朝吹真理子「TIMELESS」 朝井リョウ「ままならないから−」 佐々木敦

文芸時評

2015年12月28日

 『群像』1月号が「21世紀の暫定名著」という特集をやっている。「一般書篇」「日本文芸篇」「海外文芸篇」の三つの分野で、それぞれ座談会形式によって今世紀に入ってからの十五年間を振り返ってみようというものである。私は清水良典、松浦寿輝、富岡幸一郎の各氏と「日本文芸篇」に参加した(司会は佐藤康智氏)。いくらなんでも気が早い企画であることは確かだが、しかし他の二分野ともども、具体的な書名を挙げていくと、このたった十五年の間に幾つもの大きな、おそらくは不可逆的な変化があったのだということをあらためて思い知らされる。インターネットと携帯電話の時代が訪れ、二〇〇一年九月十一日とそれ以降の出来事があり、一一年三月十一日とそれ以降の出来事があった。時代と社会の鏡であることだけが文学や書物の役割ではないが、それにしてもここでの「暫定名著」のリストには「二十世紀」との違い(落差?)があまりにも色濃く感じられると私には思えた。日本も世界も、あらゆる意味で不安定性、流動性がいや増していて、すぐ先の未来さえ見通すことがむつかしい。更(さら)に十五年後にもう一度同じ企画をやったとしたら、そこには一体どんな風景が広がっているのだろうか?

 先月号を「極めて充実」と評価したばかりなのに、またもや『新潮』1月号が気合の入った誌面を組んでいる。「想像力の新しいパースペクティブ」と題した創作特集で、京都に住む三姉妹を描いた綿矢りさの三百枚一挙掲載「手のひらの京」を筆頭に、芥川賞受賞作「きことわ」以来、実に五年以上のブランクを経ての小説となる朝吹真理子の新連載「TIMELESS」第一回、そして上田岳弘(たかひろ)、円城塔、小山田浩子、高橋弘希、滝口悠生(ゆうしょう)、田中慎弥、藤野可織、山下澄人という八名の気鋭による短編競作となっている。待望と言ってよい朝吹の「TIMELESS」は、二十代後半の女性である「私」こと「うみ」と、キスさえしていない彼女の夫「アミ」が、六本木で催された友達の結婚式の二次会からタクシーで抜け出すと、四百年前の徳川家二代将軍秀忠の妻、三代将軍家光の母である江姫の火葬や、百年前の永井荷風の「偏奇館」での暮らし、死んでしまった高校時代の友人「ゆりちゃん」との十年前の思い出が、語りの内に忽然(こつぜん)とやって来る。初回だけでは作品の狙いの全貌は見えないが、古典的かつ現代的な独特な文体は五年前と変わらず冴(さ)えていて、少し安心した。

 短編はまたもや滝口の「文化」が、目線の高さ、完成度ともに頭一つ抜けている。十一月三日文化の日の昼間に、神保町の居酒屋で老人がひとり飲み食いするだけの話だが、この作家らしい時間と空間のおおらかでありながら大胆な扱いが随所で自在に試みられ、そこで何故だか語っている「私」というものを、人称としても視点としても極めて豊かに押し広げている。小山田の「名犬」もよく出来(でき)ている。夫の実家のある田舎の温泉で、不妊の問題を抱えているらしい「私」が耳にする老女二人の雑談。語り口の上手(うま)さは相変わらずだし、ラストの一言の切れ味も見事。上手過ぎるし見事過ぎるくらいだ。藤野の「ネグリジェと世界美術大全集」も面白かった。こちらは老女のひとり語りである。妙な題名と思うかもだがその通りの内容なのだ。時間の分断と跳躍にセンスがあって、もっと読んでいたくなった。山下の「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」は、この作者が初めて意識的に挑んだ「私小説」である。自分自身の遠い過去を思い出す小説を書いているから今、無理をして思い出しているのだとでも言いたげな、ぶっきらぼうな独白の只中(ただなか)から、ほのかな光のような叙情が立ち上がってくる。

 今月も総勢二十五名に及ぶ文化人、作家、有名人による「書き初め」企画をやっていて、独自のカルチャー路線をゆく『文學界』1月号に、朝井リョウの三百枚一挙掲載「ままならないから私とあなた」が掲載されている。当代きっての人気作家だが、文芸誌には初登場ではないか(エッセイなどはあったかもしれないが)。〇九年から二二年まで、日付入りの断章形式で、「私」こと「香山雪子」と、彼女の長年の親友「吉野薫」の関係を描いてゆく。単語の選び方のレベルまで計算し尽くして読者を物語世界に引き込んでゆく技は巧みとしか言い様がないし、ここ一番の映像的な場面描写はさすがだが、雪子と薫がファンになるバンド「Over」がSEKAI NO OWARIを元にしていたり、薫が設立するメディア企業にもモデルが思い当たったりと、現実とのあまりの近さに少々違和感を覚えた。朝井は最近の長編「武道館」でアイドルの世界を描いていたが、ここにはあの作品ほどの距離感もない。物語は近未来まで延びてゆくが、描かれているのはあくまでも現在なのだ。

 (ささき・あつし=批評家・早稲田大文学学術院教授)

 

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