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上田岳弘「私の恋人」 高橋弘希「朝顔の日」 佐々木敦

文芸時評

2015年5月28日

 第二十八回三島由紀夫賞は、上田岳弘(たかひろ)「私の恋人」(『新潮』4月号)に決まった。上田は二〇一三年に「太陽」で新潮新人賞を受賞してデビュー、芥川賞候補に挙げられた第二作「惑星」と併せた最初の作品集『太陽・惑星』が刊行されている。「太陽」も三島賞候補になっており、三つ目の作品で大きな賞を射止めた。SF的とも評されるその作風は、人類史と地球儀と進化論を丸ごと包含せんとする超マクロなスケールの寓話(ぐうわ)を、なんともユニークな仕方で個人(たち)の物語に圧縮する。

 「私の恋人」は、前二作と同様、単純素朴な題名とは裏腹に、実に一筋縄でいかない作品である。この小説の「私」は、生まれ変わりを繰り返している。一人目の「私」は、十万年前に生息していた、未来の何もかもを予知し得るほどの高度過ぎる知性を持ったクロマニョン人、二人目の「私」はナチスに命を奪われたユダヤ人ハインリヒ・ケプラー、そして三人目はIT系の会社で働く井上由祐三十五歳。この三人目の「私」には過去の二人の記憶がある。井上こと「私」は、キャロライン・ホプキンスという女性と知り合う。本人は知らないが、彼女は一人目の「私」の空想の産物であり、二人目の「私」が独房で思い続けた女性でもあり、つまり三重になった「私の恋人」なのであった。彼女は「私」に、高橋陽平という男と「行き止まりの人類の旅」の二周目をしてきたと話す…奇抜な設定と不可思議な挿話が複雑に織り合わされたストーリーは要約を拒む。まだ生硬な部分もあるし、さすがにもう少し分かりやすく書けるのではないかという気もしなくはないが、いつかトマス・ピンチョンばりの巨大な傑作をものにしそうな、期待の新人である。

 新人といえば、二誌の最新号で新人賞が発表されている。文学界新人賞は加藤秀行「サバイブ」と杉本裕孝(ひろたか)「ヴェジトピア」の二作同時受賞。前者は外資系エリートの友人二人が住む「三階建ての3LDK」に「主夫」として居候しているベルギービールの店で働く男に、やはり外資系キャリアの恋人ができる話で、登場人物全員が「勝ち組」という設定は逆張りめいていて面白いし、描写も会話も達者で洒脱(しゃだつ)だが、ラストをありがちで無難な倫理で落としてしまっている感は拭えない。後者は自分を植物だと思っている女性が花屋を営む吃音者(きつおんしゃ)の夫の子を妊娠する。彼女は清掃サービスの仕事で、植物屋敷と呼ばれている家に出入りするようになるのだが、そこには植物状態の老婆(ろうば)が居た。彼女は「植物婆」のふりをして夫に手紙を出す。すると意外にも返信があり、奇妙な偽文通が始まる。同じ文学界からデビューして「乙女の密告」で芥川賞を射止めた赤染晶子(あかぞめあきこ)に、ちょっと似た雰囲気がある。だが赤染のように、語りが徐々に変質していって、えたいの知れない場所に迷い込んでしまうような不気味な優雅さには、まだ程遠い。

 群像新人文学賞の乗代雄介(のりしろゆうすけ)「十七八より」は、こんなふうに始まる。「過去を振り返る時、自分のことを『あの少女』と呼ぶことになる。叔母はそういう予言を与えた。そのとき彼女はまだ生きていて、だから今はもういない。親族中を三代さかのぼっても見つからない癌(がん)だった。これは、人どもが様々な意味で頻々と出入りしている特別病室で姪(めい)に最期の言葉を告げようという時、他の親族を冷え冷えした廊下に追いやらざるを得なかった二人の関係にまつわる記述である」。凝った文体と才気走った饒舌(じょうぜつ)が、延々と続く。叔母と姪の、まるで観客に聞かせているかのような芝居がかった会話には、文学的/文化的な引用、参照、目配せが大量に注ぎ込まれており、そうしたものが好物の読者には読みごたえ抜群と言えるが、そうしたものしかないということをどう受け取るかは微妙なところではある。「あの少女」と、両親と弟、教師たち、男子学生との、肥大した自意識を互いに突つき合うような関係も、思わせぶりの域を出ていない。文彩や蘊蓄(うんちく)で飾り立てた部分よりも、大学病院の老婦人のエピソードなど、むしろごく普通に出来事を語ろうとした時の言葉の追い込まれぶりに、光るものを感じる。とはいえ、久しぶりに新人らしい新人と言っていい。

 上田岳弘の次に「指の骨」で新潮新人賞を受賞、新人らしからぬ筆致で「戦争」を描いて芥川賞候補にもなった高橋弘希が、第二作「朝顔の日」(『新潮』6月号)を発表している。やはり舞台は戦時中で、北国の山上にある病院にTB(肺結核)で入院中の妻を見舞う男の心象を描く。選ばれた時代背景にばかり目が行ってしまうが、この作家がやろうとしていることは、おそらくもっと観念的な作業である。そしてそこには、良くも悪くも、というただし書きが付く。いくらでも感傷的になり得る物語を、ぎりぎりで引き留める抑制ぶりには感心させられた。 (ささき・あつし=批評家・早稲田大文学学術院教授)

 

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