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人口学が映す社会の実相 青木睦・論説委員が聞く

考える広場

2018年6月23日

雲和広さん

 国立社会保障・人口問題研究所の推計では、二〇六五年の日本の人口は八千八百万人ほどにまで減るそうです。ピークだった〇八年から四千万人の減少です。人口動態と社会、経済現象などとの関係を研究する人口学。ロシアの人口問題の専門家である一橋大経済研究所教授・雲和広さんに、人口学が映し出す社会の実相を聞きました。

◆男女協働で出生率アップ 一橋大経済研究所教授・雲和広さん

 青木 フランスの著名な歴史人口学者エマニュエル・トッド氏がソ連の乳児死亡率の急上昇に着目し、一九九一年のソ連崩壊を予言したのは有名な話です。ブレジネフ時代の七〇年代半ばのことです。

 雲 乳児死亡率というと医療水準を連想しがちですが、その前に公衆衛生、つまり上下水道の整備状況に関係しています。ちゃんと整備されているかどうかで伝染病の発生率がまったく違ってきます。

 上下水道に関していえば、都市住民の平均寿命は経済発展の開始時にいったん低下します。田舎から都市への人口流入が急増し、上下水道の整備が追いつかないのに加えて、密集して暮らさざるを得ないことで伝染病が蔓延(まんえん)するからです。

 これが、日本の歴史人口学の大家である速水融(あきら)先生が唱えた「都市蟻(あり)地獄説」です。速水先生は江戸時代の人別改帳(にんべつあらためちょう)を掘り起こして、都市部の方が農村より死亡率が高いことを解き明かしました。

 ほかの国でも同じことが起きていました。ロシアの場合、一九一七年の革命より前の一八九六年と革命後の一九二六年の死亡率統計を見ると、農村より都市部の方が死亡率が高い場合があります。例えば、サンクトペテルブルクの労働者居住区に暮らす男性に高い死亡率がみられる。しかも幼児の死亡率より壮年男性の死亡率の方が高いのが特徴的です。

 青木 そのロシアですが、ソ連崩壊後の九〇年代、男性の平均寿命が急激に悪化しました。九四年に五十八歳を割り込んだのには驚きました。今は六十六歳まで上昇しましたが。

 雲 六〇年代以降、西側諸国では男性の平均寿命はおおむね一貫して延びています。逆にロシアでは低下の一途でした。平均寿命に影響を与える要因は、医療水準や環境が考えられます。ですが、日本がソ連からポリオワクチンを輸入したこともあったように医療水準が悪化したわけではない。工場の操業がストップして環境が良くなったソ連崩壊後も、平均寿命の低下は止まらなかった。このことから、環境が理由ともいえない。

 ロシアの人口問題の研究者の一致した見解では、犯人はアルコール消費の増加です。

 青木 ソ連末期のゴルバチョフ政権が反アルコールキャンペーンを展開しました。この政策は庶民の怨嗟(えんさ)の的でしたが、おかげで男性の平均寿命が延びましたね。

 雲 キャンペーンのあった三年間で三・一歳延びました。最近の平均寿命の延びは、代用アルコールの消費が減っていることが原因の一つでしょう。代用アルコールとは車のエンジンなどに使う不凍液やオーデコロンです。日本では不凍液に変性剤を混ぜることを義務付けて飲めないようにしていますが、ロシアには最近までそんな法律はありませんでした。

 不凍液はアルコール分が90%以上なので純アルコールに近い。飲むと甘苦いそうです。日本人には不凍液やオーデコロンを飲むという感覚が理解できないですが、ロシアで二〇〇四年に行われた調査によると、十五歳以上の男性で飲んだ経験がある人は20%を超えています。

 青木 それにロシア人は酒の飲み方が荒いですね。

 雲 依存症の研究ではアルコール消費のパターンを「湿った消費」「乾いた消費」と区別しています。湿った消費とは、毎日チビチビとやる飲み方。乾いた消費とは週末にガッとやる飲み方。日本人は湿った消費のパターンですね。ロシア人のアルコール消費量はフランス人や英国人とさほど変わらないのですが、飲み方が違う。ロシア人はガッと飲む。これが急性アルコール中毒の危険を極度に高める。アルコールはロシア人の主たる死亡要因です。

 青木 少子化が進む日本では、子育て支援の先進地の北欧が注目されています。

 雲 北欧では一九七〇年代から八〇年代にかけて女性の就業率が上がりました。それにつれて出生率が低下し、日本よりも低かった。ところが九〇年代から二〇〇〇年代にかけて、女性の就業率が高い国の方が出生率も高いという逆転現象が起きました。

 一方、日本や韓国やスペインは女性の就業率が上昇したのに対し出生率は低下した。これは、北欧がたどった道をわれわれも歩んでいることを示しているのでしょう。就業率の上昇に子育て支援の社会制度が追いつかず出生率が下がったというプロセスです。

 そこで北欧が選択した道はジェンダー(男女の社会的性差)を平等にすることです。有名なのは男性の育児休業取得を促す「パパ・クオータ制度」です。

 青木 日本の昨年度の男性の育休取得率はわずか5・14%でした。

 雲 パパ・クオータ制度を導入したノルウェーでは90%以上です。ジェンダー平等は男にも女にも負担を求める社会です。外でも家庭でも共に働かなくてはならないから。それでも、ジェンダー平等を進めないと社会が維持できない−。パパ・クオータ制度は国民の意識をこういうように改革するための政策という気がします。

 日本は社会での男女の分業は進んだが、家庭の中の分業が遅れている。北欧でも社会での分業が先に進んで、家庭での分業が遅れた。それを政策的に無理やりにでも家庭で男女が協業するシステムを導入することによって社会全体が変わったのではないでしょうか。

 青木 社会主義国のソ連は、女性の社会進出が盛んでした。

 雲 ソ連は第二次大戦でおびただしい犠牲者を出しました。労働力が不足していたので共働きを奨励したのです。社会的分業は進み、社会的な子育て制度も充実していました。育児施設はほぼ無料。幼稚園は朝食から提供し、朝の七時から夜七時まで子どもを預かってくれました。ただし、男性は料理も洗濯も買い物もしないことが多いから、女性は大変だったでしょう。

 ソ連崩壊後は経済危機で育児支援施設が閉鎖されたり、有料化されたりしましたが、今は職場で育児支援施設が復活してきている。政府も保育園をたくさん造っています。

 青木 日ロともに人口減が深刻な問題です。

 雲 ロシア政府は平均年収を超える出産奨励金を出し、育児手当も増額しています。石油・天然ガスの資源収入を少子化対策に回せる。北海油田のあるノルウェーも恵まれており、年金基金収入がゼロになっても数十年は年金を払い続けられるほどですが、日本は二年ももちません。もっとも、ノルウェーは人口が五百二十万人ほどだからできることです。

 日本はロシアのようなことは財政的にできません。人口問題ではロシアより厳しい状況にあります。

 <くも・かずひろ> 1969年、奈良県生まれ。大阪外語大(現大阪大)ロシア語学科卒。英オックスフォード大客員研究員などを務める。2004年から一橋大経済研究所教授。専攻はソ連・ロシア経済論、ロシアの人口論・移民論など。主な著作に『ロシア人口の歴史と現在』。

 <パパ・クオータ制度> 育休の一定期間を父親に割り当てる制度で、父親が取得しないとその期間の権利は消滅する。1993年に初めて導入したノルウェーの場合、両親は最長で59週の育休を取得でき、うち10週が父親への割り当て分。今年7月1日生まれの子から15週に延長の予定だ。育休中の所得保障は59週なら休業前給与の80%、49週なら100%が支給される。

 

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