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自然生かし溶け込む 個性放つ建物 浜松で個展 藤森照信さん(建築家)

土曜訪問

2018年8月25日

 ぽっかり宙に浮いた球形の小部屋、曲線を描く屋根から生えた松の木−。藤森照信さん(71)が手がける建物は、一度見ると忘れられない個性とあたたかみを併せ持つ。その独創の源は、どこにあるのだろう。館長を務める江戸東京たてもの園(東京都小金井市)を訪ねた。

 江戸−昭和初期の住宅や商店を移築展示している園内。「戦前の東京の建築をまとめて見るには、ここへ来ないと。最近は外国の人も多いんですよ」。藤森さんは笑顔で歩き始めた。写真撮影のため明治末期の洋館の前に立ってもらうと「赤茶のスレート屋根はこのころの主流ですね」。解説が止まらない。

 大学院生のころから「建築探偵」を名乗り、日本の古い西洋建築を中心に古今の建造物を探究してきた建築史家でもある。この園も建物の配置を提案するなど開園前からたずさわった。

 現在は、秋野不矩(ふく)美術館(浜松市)で、これまでに手がけた建物の模型や写真を集めた個展を開いている。そこの建物も、自身の設計だ。木造小屋に巨大な土壁を組み合わせた外観で、地元産の天竜杉や、故郷の諏訪地方で採れる黒い鉄平石を使っている。

 個展で紹介されている住宅や店舗は、屋根に木を植えてあったり、全体が芝で覆われていたり。焼いた杉板を張った黒い壁も。どれも意外なところに、大胆に植物などが使われている。「自然が好きということに尽きますね」

 八ケ岳のふもと、長野県宮川村(現在の茅野市)で少年時代を過ごした。緑や雪の中での遊びの中に、ものを作る楽しさもあった。「茶わんに雪を詰めて二つ合わせて玉にしたのが一番古い“工夫”の記憶。折り畳めるそりとか空飛ぶ羽とか、いろいろ作りました」。今も設計段階での模型作りをこよなく愛する。

 東北大の建築学科を経て、一九七一年に東大大学院へ。建築史を志すも当時、研究は停滞していた。「ビルをどんどん造れという時代。古いものを調べる人はいなかった」。忘れられかけていた明治、大正期の西洋建築を中心に現地調査に励む。「未踏の草原を歩くようで、楽しかったです」

 東大の教員になってからも、日本各地や世界を歩いた。忘れがたいのはポルトガル北部のファフェにある「石の家」。丘の上に、三つの大きな石を壁のように組み屋根を付けた家が立つ。風景と一体化し「あれ以上のものは見たことがない」と語る衝撃だった。

 四十代からは、設計の仕事に力を入れる。今は「建築史は一段落。これからは建築家としてやっていきたい」というのが心境だそう。自分で建物をつくる時に追求するのは二点だけだ。いかに木や土など自然の素材を生かすか、植物をうまく建物に取り込むか。

 「僕の建物は、使う人も大変。頭の上に草や木が植わってるんだから」。少年のように笑うが、決してアイデアまかせではない。芝が健康に育って雨もりも起きない木造屋根の仕組みを試行錯誤したり、鉄平石の間を芝が埋めるナマコ壁を考案したり。思い描いた建物を実現する技術や素材は、とことん研究し尽くす。

 設計に悩むと、建築探偵としての膨大な記録が役に立つ。「見てきた建物が自分の血肉となり、栄養となっていると思います」

 最近は、海外の設計依頼も増え、この秋はインドに、ヒノキ柱の茶室を建てる。茶室は、これまで数多く手がけてきた建物の一つ。「小さい中にいろんな建築の要素があるし、実験的なことにも挑戦しやすい」と作り続ける。ワイヤでつり下げ、宙に浮く「空飛ぶ泥舟」など、こちらも個性派ぞろいだ。

 取材の数日後、茅野市を訪ね、高台に並ぶ茶室を見た。二本のクリの木が支える地上六メートルの「高過庵(たかすぎあん)」、半地下の「低過庵(ひくすぎあん)」…。奇抜な設計が、不思議と周りの木々や草花に溶け込んでいる。「どこからが自然で、どこからが建物か分からないもの…。なかなか難しいんですけどね」

 理想の建築を語る言葉が、ふとよみがえった。 (川原田喜子)

 *「藤森照信展」は九月十七日まで浜松市天竜区の秋野不矩美術館で開催中。

 

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