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自由に想像の世界へ 国際アンデルセン賞を受賞 角野栄子さん(児童文学作家)

土曜訪問

2018年5月12日

 児童文学作家の角野栄子(かどのえいこ)さん(83)が「児童文学のノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞の作家賞に選ばれた。代表作『魔女の宅急便』や、来年四十周年になる「アッチ コッチ ソッチの小さなおばけシリーズ」など、ちょっぴり不思議な物語は世代を超えて読者を魅了する。記者も子どものころに愛読した本を手に、神奈川県鎌倉市の自宅を訪ねた。

 「どうぞ」。扉が開き、角野さんが顔をのぞかせた。水玉模様のワンピースに赤縁の眼鏡。絵本から抜け出したような装いだ。

 国際アンデルセン賞は二年に一度、世界の作家と画家から選ばれる。日本人の作家賞は、まど・みちおさん、上橋(うえはし)菜穂子さんに続き三人目。三月に受賞が決まってしばらくたつが「ずっとうれしいです」と声が弾む。「外国の賞は初めて。ケストナーやファージョンら大好きな作家の名前が並ぶ、伝統ある賞ですし」

 やや早口でてきぱきと答える角野さんは、東京の下町・深川の生まれだ。五歳のとき、母を病で失う。以来、不意に来る死への恐れや不安を拭うように、ひとりで想像を巡らせるようになった。「子ども心に寂しかったんでしょう。よく家出物語を考えるのね。どこかに行ったら楽しいことがあるんじゃないかって。考えるうちに気が晴れた」

 母を亡くした少女に、父はいろいろな物語を語って聞かせた。宮本武蔵の活躍や落語、講談…。「教育的観点から選んでいませんから」と笑うが「乾いた私の心に染みたのね。入ってきた言葉は、私の一生に大きな力になった」。やがて自分で本を読めるようになると、『小公女』や『秘密の花園』に手を伸ばした。

 「だからずっと、読む人だったの、書く人じゃなくて」。その言葉通り『ルイジンニョ少年』で作家デビューを果たすのは一九七〇年、三十五歳のときだ。

 決して早いスタートではない。早稲田大を卒業後、出版社勤めを経て結婚し、夫の提案によりブラジルで二年を過ごした。滞在中の経験を書くよう大学の恩師に勧められ、できたのがこの物語だった。「十何回も書き直したけれど、飽きなかった。私は書くことが好きなんだ、一生書き続けようと思いました」

 そして一九八五年。空を飛ぶ魔女キキの物語『魔女の宅急便』が生まれる。

 きっかけは、中学生だった一人娘が描いた絵。月夜に飛ぶ魔女のほうきにラジオが下がり、音符が流れ出ていた。絵の中では中年の女性だったが、作中のキキは十三歳の少女にした。

 「その頃って、自分では大人だと思っているけれど、子どもっぽいところもある。境目ってエネルギーがあって、書いていて面白いから」。なるほど、キキは同年代の女子に対抗心を燃やしたり、好きな相手にそっけなくして反省したり。揺れる年頃の少女の心理が丁寧に描かれていく。

 キキが飛ぶことしかできないのも理由がある。「一つだけの魔法を工夫して使い、成長する姿を書きたかった。『全て魔法でできました』では都合がいいじゃない?」。その後、キキは二十歳になって結婚。物語は二〇〇九年に第六作で完結した。「自分というものがある程度分かってくる年齢だからね」

 そうした作中の人物の成長とともに執筆を続け、もうすぐ半世紀。翻訳も含め四百冊近くを世に送り出してきた中で、この人は何を大切にしてきたのか。

 一五年に発表した『トンネルの森1945』に話が及んだとき、答えが垣間見えた。自身の戦争体験を基にした物語は、十歳の少女が主人公。出征した父を案じ、継母と疎開先で暮らす日々を描く。「偏った主義主張は書きたくなかった。批判も肯定もせず、ただ少女の目で戦争を書いてみようと思った」と語る。

 それだからか、自作で伝えたいことは「ない」という。「私は、どの作品にもこう読んでという気持ちは込めません」。そうした創作姿勢の原点も、戦争体験にある。「足をそろえて歩いたり、寒い講堂で正座させられたりね。同じように、全員が私の思った通りに読むなんて嫌じゃない? 読書って自由でしょ。自分の物語として読んでほしいんです」 (世古紘子)

 

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