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「痛さ」思い書き続ける 幻の詩集を収めた著作集刊行 金時鐘さん(詩人)

土曜訪問

2018年4月14日

 詩人の金時鐘(キムシジョン)さん(89)が日本に渡る発端となった韓国・済州島の四・三事件の発生から、七十年を迎えた。朝鮮半島の分断に反対する島民が蜂起した日に当たる今月三日、同島で開かれた犠牲者追悼式に文在寅(ムンジェイン)大統領も出席した。

 「私も詩の朗読をするはずでしたけど、出歩ける状態じゃなくて」。心臓の病気で三月上旬まで一カ月ほど入院しており、式の日は奈良県生駒市の自宅で夫人と過ごした。

 事件では、米軍政下の政府軍・警察による大弾圧で数万人の島民が殺された。南朝鮮労働党(南労党)の末端党員として蜂起に関わった金さんは、一九四九年に日本に逃げ延びた。

 刊行中の著作集『金時鐘コレクション』(全十二巻、藤原書店)は、二月の初回配本の第二巻に詩集「日本風土記II」を収めた。一九六〇年代前半に刊行するはずだった「幻の詩集」だ。研究者が散逸した作品を探し、可能な限り復元した。「学者はこわいなあ。よう探し出してくれた」と感慨を込める。

 そのなかに、四・三事件を題材にした「わが性 わが命」という詩がある。「事件を作品に表したのは、これが最初だと思います」。殺害された義兄をよみ込んだ。

 <二十六の生涯を/祖国に賭けた/四肢が/脱糞(だっぷん)までの硬直にいやが上にもふくれあがる。/“えーい! 目ざわりな!”/軍政府特別許可の日本刀が/予科練あがりの特警隊長の頭上で弧を描いたとき/義兄は世界につながるぼくの恋人に変っていた/削(そ)がれた陰茎の傷口から/そうだ。ぼくは見てはならない恋人の初潮を見てしまったのだ>

 アウシュビッツのガス室で虐殺される前に多くの少女が初潮を迎えた逸話と、首を絞められた義兄の陰茎が硬直する様を重ね合わせた。「人間は死を強いられると、ぎりぎりの、究極の生きる証明をするんだ」と語る。

 南労党が関わった四・三事件に対し、韓国だけでなく北朝鮮も沈黙した。金さんが所属した南労党は五〇年に北朝鮮の朝鮮労働党に合流するが、幹部らは金日成(キムイルソン)のグループに粛清された−とされる。事件が語られないことへの抵抗から「意地で、詩ににじませたんです」と話す。

 五五年ごろから、金さんは北朝鮮指導下の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)から激しく批判された。「私も南労党の仲間だと踏んだんでしょう。よう気が狂わんできたような十年が続きました」。そんななか、「日本風土記II」は出版中止に追い込まれた。在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業が本格化した時期だったが、帰国の道も閉ざされた。

 失意のなか「日本に生きるとはどういうことかを考えるようになった」という。その末に、金さんが半世紀にわたって体現する「在日を生きる」という命題にたどり着く。

 「在日朝鮮人は北支持、韓国支持に分かれて対立をつづけてきた。にもかかわらず、一つどころを生きてきたんや。私たちは南北の統一が実現したときの鬩(せめ)ぎを、緩和、中和させるつなぎ役ができる存在なんだ」

 南北間の融和を確かなものにし、独自の文化を保ちながら日本人との共存をめざす態度−それが「在日を生きる」の言葉に込める意味だという。「うちの国はいずれ統一しますよ」と言い切る。

 七〇年に朝鮮総連から身を引く覚悟で第三詩集『新潟』を出して以降、現在まで日本で詩作を続ける。今月も、東日本大震災が題材の詩集『背中の地図』を刊行予定だ。

 これまで、七五調に代表される「日本的叙情」を乗り越えようとしてきた。「日本は世界に類を見ないほど、叙情歌に類する美しい歌がたくさんある国やねん。優しい人間たちのはずなのにどうして、あんな戦争で残虐なことをしたのが、ずっと疑問やった」と語る。

 「要は、『痛さ』を誰も思わなかったんや」

 戦後の現代詩も「依然として私的(わたくしてき)なことしか書いていない」と思っている。

 「私にとって、詩を書くというのは『そうであってはならないことには与(くみ)しない』ということ。つらい目にあったけど、それで精神が傷つくことはなかったな」 (小佐野慧太)

 

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