XMenu

「ウレシパ」で未来へ アイヌ文化の担い手を育成 本田優子さん(札幌大教授)

土曜訪問

2018年2月10日

 「これまで、どれだけアイヌとして差別されてきたか…。だから、口が裂けても自分はそうだと言わないつもりだった。でもこれからは文化を学び、アイヌとして生きていきます」

 三十代半ばのその女性は、そう言って面接会場で涙を流した。大学進学をあきらめて働いていたが、札幌大学(札幌市)が「経済的困窮で進学できないアイヌ民族の若者を対象に、奨学金制度を始める」という新聞記事を読んでやってきた。二〇一〇年のことだ。

 「思い出すと泣けてきちゃう」と札幌大教授の本田優子さん(60)は当時を振り返る。奨学金制度を含め、アイヌ文化の担い手を育成する同大の「ウレシパ・プロジェクト」の発案者だ。

 ウレシパとはアイヌ語で「育て合い」の意味。奨学金だけでなく、学内にアイヌと和人(本州系の日本人)の学生が共にアイヌの言葉や文化を学ぶ「ウレシパクラブ」をつくり活動する。「就職差別をなくすには企業の理解が必要」と、道内企業に活動に協力してもらう事業も実施。現在約四十社に上る。

 冒頭の女性は、大学に来てからあっという間に表情が明るくなった。「優秀な成績を収めて、手製の民族衣装を着て、学長から総代で卒業証書をもらったんですよ。かっこいいっしょ!」

 本田さんは金沢生まれ。アイヌとは縁もゆかりもなかった。北海道大に進学し、アイヌ文化研究者で元国会議員の萱野(かやの)茂さんの本を偶然読んだのが転機になった。「アイヌとしてアイヌ語を取り戻そうとしている人がいる。衝撃だった」

 子ども時代、大好きな祖母が話す金沢弁をまねると、親に「もっと上品な言葉を使おうね」と言われた。「日本人は近代化の過程で方言を捨てたけれど、アイヌは明治政府の同化政策で捨てさせられたと知った」

 研究者を志したが、大学院の試験に落ちた。「アイヌについて学ぶ時間をもらったんだ」と気を取り直し、萱野さんに「弟子入りさせて」と頼み込んだ。

 萱野さんがいる北海道平取町二風谷(にぶたに)に移住した。一九八三年、アイヌの子にアイヌ語を教える塾を開いた直後に、萱野さんが病に倒れた。「入院先の萱野先生にアイヌ語を教わり、それを私が子どもに教える」生活が始まった。

 その間には結婚し、息子二人が生まれた。ところが夫と離婚し、小学三年と一年の子を連れて二風谷を出た。非常勤の学芸員や大学の非常勤講師をやりながら「母子家庭のフリーターで十年くらい食いつないだ」。二〇〇五年に札幌大が「アイヌ語・アイヌ文化」が専門の教員を募集。「アイヌ語ができる人が少ないので拾ってもらいました」

 四年もしないうちに女性初の学部長に選ばれる。「引き受ければ、アイヌの若者に民族教育の場をつくるチャンスだと」。「逆差別」との批判が起きたが、「多文化共生は実践しないと」と説得し、ウレシパ・プロジェクトの実現にこぎつけた。

 「伝統や被差別などの堅いイメージがあるけれど、アイヌ文化に惹(ひ)かれるのは、面白くて楽しいから。機知に富む会話が好きで、他者の痛みを共有する素晴らしい哲学がある」と話す。

 二風谷にいた時、幼い息子がジュースをこぼした。「アイヌの方々は私に『怒るんでない。床の神様が飲みたがったんだから』っておっしゃるの」。本田さんもバッグに飲み物をこぼして恐縮する相手には「バッグの神様が飲みたかったのよ。お酒好きな私のだしね、って言う」と笑う。

 学生と毎日、LINE(ライン)を使ってアイヌ語で会話している。「言葉や文化を学べば、尊敬するようになる。差別をなくすのは出発点。目標は、望むときにアイヌの言葉や文化を学べる土壌をつくること」。日常のアイヌ語を復活させ、公用語にする夢もある。

 今年は北海道と命名されて百五十年目にあたる。北海道が誇れる最大の価値は、豊かなアイヌ文化だと思っている。「どうしたらその素晴らしさを伝えられるかなって。そればかりです」 (出田阿生)

 

この記事を印刷する