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挑戦と継承 編み込む 世界が注目する4代目 田辺竹雲斎さん(竹工芸家)

土曜訪問

2017年6月3日

インタビューに答える竹工芸作家の田辺竹雲斎さん

 作品は大英博物館や米ボストン美術館に収蔵され、世界でもその名が知られる竹工芸家だ。大阪・堺で明治から続く名門の次男に生まれ、三月に四代目を襲名した田辺竹雲斎(ちくうんさい)さん(44)は、代々伝わる技術を大切にしながら竹工芸の新境地を切り開いてきた。

 「うちの家訓で『伝統とは挑戦なり』という言葉があります。伝統を守るというのは変わらないことじゃない。その時代に合った新しいことを繰り返してそれが伝統になるんやと思います」。堺にある工房兼自宅。柔和な表情を引き締めてこう言った。

 昨年、パリの国立ギメ東洋美術館でのインスタレーション(空間芸術)は大きな話題を呼んだ。立ち上がりうねる巨大な竹の塊は接着剤もくぎも使っていない。竹ひご約一万本をただ編むことでつくりあげた。これだけの規模でもしっかり自立するのは、しなやかで弾力性に富む素材としての竹の特性もさることながら「亀甲編み」という竹工芸の技法を用いているからだ。

 竹も他の工芸分野と同様に苦しい状況が続いている。大量生産・大量消費の時代を経て手仕事の需要は減った。田辺さんによると、同世代の四十代以下の竹工芸作家は数えるほどしかいない。「竹ってこんなことができるんだ、おもしろいんだと。インスタレーションを入り口に興味を持ってもらいたいんです」

 四代目を継ぐまでには葛藤があった。

 大阪市立工芸高校では彫刻が専門の恩師に出会って、芸術の楽しさを知り、大学も彫刻科を志望した。竹工芸とは別の分野を学ぶことも後々生きると考えたのだ。だが、一浪の末に入学した東京芸大で人生に迷う。「大学合格という目標を達成して、アレ?っていうか、小さい頃からずっと竹をやると育てられてきたけど、本当に自分がしたいのは何だろうと」

 飲食店、引っ越し業者、ガソリンスタンド、交通量調査…。大学から足は遠のき、アルバイトに明け暮れた。寝袋を持ちバイクで全国を放浪もした。

 東京の別の美大で学んでいた兄も同じように悩んでいた。二人で何度も話し合った。二年が過ぎ、兄は別の道へ、弟は継ぐことを決めた。「二年間、いろんな人に会い、いろんな仕事もしたけど、どれも納得できなかった。自分には竹しかないと思えた」

 大学に戻ると、竹に打ち込んだ。卒業制作は竹のオブジェ。竹の現代アートは当時もいまも珍しい。「高校でも大学でもアートの勉強ばっかりしていたんで、工芸品という意識はあんまりなかった」。異分野での学びが生きた。

 二年留年したが卒業。大分にある竹工芸の訓練施設を経て先代である父の下で研さんを積んだ。

 二〇〇一年、米フィラデルフィア美術館での工芸展に招かれたことも転機になった。重鎮がそろう日本からの招待作家十五人の中で唯一、作品が美術館に買い上げられた。「五十五歳まで若手」の竹工芸の世界。年功序列の日本では考えられなかった。「肩書もキャリアも関係ない。おもしろいものを作れば認めてくれる」。挑戦の場を海外に広げると、評判も徐々に広がった。欧米四カ国のギャラリーと契約し、毎年のように国内外で新作を発表する。

 田辺さんが大切にしているのは変わることだけではない。「初代、二代目、三代目がいたから自分がいます。自分には継承したものを次の世代に手渡す義務がある」。花籠のように竹工芸らしい作品も重要だ。変わっていくことと、変わらずにいること。二つの大きなテーマを自身に課している。 (森本智之)

      ◇

 四代目の襲名披露展が二十八日〜七月三日、東京の日本橋高島屋で開かれる。六月二十一〜二十七日には一階正面ホールで高さ五メートルのインスタレーションを公開制作する。

 

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