XMenu

性暴力のリアル語る 父からの虐待と向き合って 山本潤さん(サバイバー)

土曜訪問

2017年5月20日

 「レイプがこの世からなくなったら、人生はどう変わると思いますか?」

 山本潤さん(43)の問い掛けに、不意を突かれた。

 山本さんは十三歳から実父に性的虐待を受けた。それから二十九年。心と体を粉々にされてから、回復までの長い道のりをつづった『13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル』(朝日新聞出版)を今春、出版した。

 冒頭の質問に、反射的に思い浮かべたのは「夜道」だった。女一人で歩くと、無意識に緊張で体がこわばる。性犯罪は年齢や見た目と無関係に起きるが、「不用心だったのでは」などと被害者の「落ち度」ばかりがあげつらわれ、あげく被害が「恥」にされる。

 そんな理不尽さ、日常の恐怖から解放されたら、どんなにせいせいするだろう。そう答えると山本さんはうなずいた。「傷つけられた側が責められ、加害者は責任を負わない。日本社会ではいまだに性暴力が許されているということです」

 理路整然とした言葉は、不条理な被害を考え続けた歳月を物語る。

 十三歳のある夜、布団に父親が入ってきて、体をさわり始めた。あまりの異常さに耐えられず、「これはどこの家でも起きていること」と思い込もうとした。両親が別れるまで七年間、虐待は続いた。

 言葉にならないほどの恐怖で、誰かに「助けて」と訴える力は奪われていた。守ってくれるはずの親に虐待される自分は、生きる価値のない存在だと思った。

 母は後に事実を知って驚愕(きょうがく)した。二十代、心的外傷(トラウマ)で強迫症状に襲われた。施錠したか不安でドアから一時間以上離れられない。なぜかコップを置き直し続ける。看護師として働き始めると、アルコールに溺れた。一夜限りの異性関係を繰り返した。それも性暴力被害の特徴のひとつだと後に知った。

 「死にたい」といつも思っていた。三十代前半、飛び降り自殺しようとしたとき、猛烈な怒りに襲われた。こんなことをしたいわけじゃない。心の中で父親に叫んだ。人を信じて愛する気持ちを、健康な心と体を、「私」を返せ。

 被害を直視できない。それが、回復の出発点に立つことを邪魔していた。「ずっと自分は問題ないと思おうとしたけれど、限界だった。死を意識するギリギリまで追い詰められ、初めて被害と向き合えた」

 なぜこんなことになったのか、知りたい。被害者を支援する団体の集まりに出掛けた。当事者や支援者との出会いが、目を開かせてくれた。性暴力の構造や海外の取り組みを知った。大学院で暴力と虐待のアセスメント(査定・評価)などの専門的看護を学んだ。

 三十六歳の秋、初めて人前で被害を打ち明けた。

 性犯罪の罰則は軽すぎる。性暴力への社会の理解が足りないからだと実感した。刑法改正に被害者の声を反映させようと二〇一五年、「性暴力と刑法を考える当事者の会」を設立。今国会提出の法改正案の作成過程で要望書を出し、ヒアリングに応じた。

 改正案には「強姦(ごうかん)罪の下限を懲役三年以上から五年以上に引き上げる」といった内容が盛り込まれた。だが、強姦罪には加害者の「暴行・脅迫」の要件が残った。極度の恐怖に直面すると体が動かなくなるという実情は反映されなかった。「百年以上前に制定された刑法は、女性の命よりも貞操観念、つまり家の血統を守ることを重んじている」と、静かな怒りを込めて話す。現行の法律が、人権をないがしろにする意識を再生産している。

 一二年九月、オーストラリアで強姦殺人事件が起きた。二十二歳の女性が同僚と飲んだ帰途に襲われた。「誰もが夜道を安全に歩く権利がある」。被害者の帰った道を、みんなで歩こう。友人が企画した追悼行進には、予想外の三万人が参加したという。

 本を書いて良かったのは「被害者が体験を語っても大丈夫だよと示せたこと」。夜道を歩ける「当たり前」を実現させたい。

 時折、ひょうひょうとした口調になる。どうしてだろう。山本さんに聞いてみた。「わたし、本当は明るいのかもしれません」と優しく笑った。 (出田阿生)

 

この記事を印刷する