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新国立競技場を考える 「施設建築ワーキンググループ」議事録検証

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2014年10月5日

 2020年東京五輪のメーン会場となる新国立競技場は、その巨大さゆえ、建設費がかつてないほど高額で、難しい工事になることが確実だ。計画を固めたのは、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)が2012年に開催した有識者会議と、その下に設けた三つのワーキンググループ(WG)だった。史上最大のドーム計画は、どう作られたのか。中心となった施設建築WGの議事録を情報公開請求で入手し、検証した。 (森本智之)

◆第1回(12年4月10日)

 「都市計画は東京都が決めるものと、区市町村が決めるものがある。今回は東京都が決められる再開発等促進区という手法。都市計画にかけて、段階的に計画が可能なようにしたい」

     ◇

 口火を切ったのは、東京都都市整備局の安井順一技監(現都市整備局長)だった。会議には五人の委員のほか、国や都、JSCの担当者も参加。文部科学省の山崎雅男参事官(現JSC新国立競技場設置本部長)が司会を務める。

 予定地の明治神宮外苑は緑が多く、東京で初めて風致地区に指定された。百年かけて育ててきた景観を守るため、都は条例で高さ十五メートルを超える建築物を原則的に禁じていた。その禁を自ら解く。安井氏はのっけから、そう宣言した。

 一三年六月、都は実際に都市計画を変更し、一気に高さ七十五メートルまで制限を緩和する。緩和には美観を損ねないかどうかの検討が不可欠なはずだが、議事録にそうした言及はない。

 「国際コンペの募集の考え方を整理いただけたら(略)なるべく早く(関係の)区と調整したい」

 東京五輪前年の一九年にはラグビー・ワールドカップが行われる。この時に新競技場を使うためには、日程に余裕がなかった。

 メーンスタジアムは、五輪の開会式などのほか陸上競技に使われる。サブトラック(ウオーミングアップ場)は陸上の国際大会はもちろん全国レベルの大会でも必須の施設だが、安井氏は「必ずしも恒久的な施設である条件ではないので、(略)決めなくても都市計画を行うことは可能」と発言。この段階では新競技場に隣接して造られることになっていたが、後に建設地の余裕がないなどとして常設化を取りやめ、安井氏の発言通り、五輪では仮設で対応することになった。

 出席者の一人は「都市計画の変更は新競技場建設の重要な前提条件。都の担当者は最初から計画変更を見越して作業をしていた。急がなければいけない、というのは参加者の共通認識だったと思う」と述べた。

 安井氏は多忙を理由に取材に応じなかった。代わりに飯泉洋・都土地利用計画課長が「再開発を検討している人に都としてアドバイスしただけ。だからといって必ず都市計画変更するわけではなく、景観への影響などを踏まえ審査はきちんとやっている」と答えた。

 WGは最終的に、都市計画変更に必要な新競技場の位置、規模、高さ、施設構成などを優先して決定し、その後、七月に受け付けを開始する予定の国際デザインコンペのための条件を詰めることで合意した。

 この日の資料には、既に収容人員八万人確保のためスタンドを三層式とし、頂上部の高さが七十メートルに達することが示されていた。安藤忠雄座長は「相当な大きさです。(略)景観上の課題がある」と話したが、その後、重要なテーマであるはずの景観の問題が議論されることはなかった。

◆第2回(12年5月14日)

 「スポーツの聖地である国立競技場として、世界に誇れる、世界が憧れるスタジアムを造りたい」

     ◇

 二回目の会合は、新競技場への期待あふれる言葉で始まった。発言したのは、日本サッカー協会名誉会長を務める小倉純二スポーツWG座長。前回会合以降、スポーツ、文化両WGもそれぞれ初会合を開き、必要と考える設備を要望案として取りまとめていた。

 小倉氏は約百ページの資料を手に報告していく。「規模八万人、屋根を開閉式にする、椅子を可動式にする、この三点が最重要であるという結論になりました」

 続いてピンクレディーの「UFO」などで知られる作曲家で文化WGの都倉俊一座長も発言に立ち、コンサートを開催するために「開閉式の屋根はマストです」と強く要望した。

 相次ぐ要望に、委員の一人は「全部単純に加算していくと、規模的に不可能になってしまいます」とあきれ、「年に一回しか使用しないものであれば特設の施設でまかなえる」といさめた。別の委員も「この際という形でいろいろな要求を出されています」と、相次ぐ注文にくぎを刺した。

 この日の会合では、あらためて新競技場の配置を検討した結果、当初の計画にあったサブトラックを設置するスペースがないことが報告された。陸上大会を開くためには、億単位のコストをかけて仮設で造り、また撤去することになる。

 開閉式の屋根はコンサートの、可動式の座席はサッカーやラグビーのためだ。五輪のための施設でありながら、五輪の陸上競技開催に必要なサブトラックは後回しにされた。

 設備要望は最終的に、JSCの藤原誠理事(現文科省私学部長)が「意見、要望も踏まえて、事務局で与条件の案を作成します」と引き取り、次回に決定することになった。

 この日は、前回示された新競技場の概要の更新版も示され、“巨大ドーム”の原型はできあがりつつあった。事務局側は「自由度は高くないが、現在想定している敷地で建てられないことはない」と説明した。

 会合の終盤、有識者会議委員の遠藤利明衆院議員が「明日スポーツ議員連盟で財源の問題を議論します。財源としてサッカーくじの活用をどうしていくか」と切り出した。「八百何億円のサッカーくじの売り上げをもう少し増やす仕組みをどう作っていくか」

 本体の建設費は「一千億円というイメージ」(藤原理事の発言)。国の財政赤字がふくらむ中で、財源の手当てが課題だった。

 「サッカーくじ」(スポーツ振興くじ、toto)は一年後、超党派のスポーツ議連による議員立法で、売り上げの5%が新競技場の事業費に充てられるよう法改正される。totoを運営するのは同じJSC。当せん金を最大十億円に引き上げ、海外サッカーまで対象を拡大するなど、売り上げ増に突き進み、一三年度の売り上げは過去最高の千八十億円を記録した。

 巨大さゆえに建設費がかさむことへの懸念は、議事録には見当たらない。

◆第3回(12年6月14日)

 「ものすごく大きなスケールのものを、ものすごく短いスケジュールで行うという困難な計画です」

     ◇

 競技場の規模を決め、一気にデザインコンペの開催方法の検討に入ったこの日の会合。安藤忠雄座長は最後に放ったひと言で、コンペのスケジュールの厳しさを言い表した。

 会合の一カ月後にはコンペが始まり、二カ月足らずで締め切る。普通は海外の建築雑誌に案内を出すが、「一カ月以上かかる。スピードから言うと(間に)合わない」(安藤氏)。時間の余裕がないため、安藤氏個人のつてを頼って、海外の有名建築家らに直接メールを送るドタバタぶりだった。

 こうした中、肝心の競技場の規模の最終検討は、議論が深まらなかった。A4判の議事録では、わずか二ページ分で終わっている。

 この日、出席者に配られた資料「新国立競技場に求められる施設機能と想定される諸室と規模(案)」からは、あちこちから相次いだ要望をいれた結果、大きくふくれあがった新競技場が浮かび上がる。

 今の競技場は五万席、国内最大の日産スタジアムは七万二千席。これに対し、新競技場は八万席。日本最大規模だが、英国のウェンブリースタジアムの九万席には及ばない。

 だが、選手更衣室や運営本部室など「競技等関連機能」に目を向けると、新競技場は一万五千平方メートルあり、ウェンブリーの一・六倍にもなる。現競技場と比べると三倍以上、日産の二倍弱だ。VIP席など「ホスピタリティー機能」は二万五千平方メートルで、これもウェンブリーを上回る。現競技場や日産と比べると、十倍前後の規模になる。

 各施設を積み上げた全体の延べ床面積は、二十九万平方メートル。他の三スタジアムをはるかに圧倒し、ロンドン五輪の主会場の三倍、五輪史上最大の巨大スタジアムとなった。

 検討の基になったのがスポーツ、文化両WGが示した数々の要望だ。その数、実に百二十八点。あまりにも多いため事務局が整理したが、すべて設計段階までに対応することとされ、カットされなかった。

 「問題点があると思われる方がありましたら、何か教えていただければ」

 資料の説明後、安藤座長が声を上げた。

 委員から「周辺の交通計画は提示してコンペに出すのか」「こういうものを作ってほしい、こういう空間にしたいという表現と、それを実現する手段がわかりにくい」といった発言があったが、巨大さに疑義を呈する声はない。WGは事務局案をそのまま追認した。

 なぜ二十九万平方メートルもの巨大施設としたのか。当時JSC理事だった藤原誠・文科省私学部長に取材を求めたが「現職ではないので回答する立場にない」と応じなかった。

 一カ月後の七月十三日、四回目の会合が開かれ、国際デザインコンペの募集要項をまとめた。引き続いて開かれた有識者会議はWGの検討結果を全て承認。JSCの河野一郎理事長や安藤座長らは一週間後、記者会見を開き、新競技場の概要と国際デザインコンペの実施を公表した。

◇計画検討の経緯 中核は「施設建築WG」

 JSCが、計画内容を検討する有識者会議を設置したのは、2012年3月だった。14人のメンバーは、座長の佐藤禎一・元文部次官、「文教族のドン」と言われる森喜朗元首相、スポーツ議員連盟の遠藤利明幹事長ら、元官僚や政治家、スポーツ関係団体トップが中心。建築家は安藤忠雄さんだけだった。

 会合では、将来のサッカー・ワールドカップ招致までにらみ、開催条件の「収容人員8万人」、コンサートの際に音響効果を高め外部への騒音をさえぎる「開閉式屋根」を当初から必須条件とした。

 翌4月には、実務作業を担うため会議の下に「施設利活用(スポーツ)」「施設利活用(文化)」「施設建築」の三つのWGを設けた。このうち中核は、安藤さんが座長を務めた施設建築WGだった。5人の建築家が参加。他の二つのWGの意向を踏まえた上で、7月には新競技場の概要を決め、国際デザインコンペの募集要項をまとめた。

 異例の短期間で行われたコンペだったが、46作が応募。この中からザハ・ハディドさんの作品を選んだ。審査委員長は安藤さんで、施設建築WGの全員と海外の有名建築家らが審査にあたった。

 東京は13年9月、五輪開催地に決定したが、新競技場の巨大さや周辺の景観への悪影響、コスト増大を懸念する声が噴出。総工費が当初見込みの1300億円から最大3000億円に達するとの見通しも明らかになり、JSC側は14年5月にまとめた基本計画で、規模を約2割縮小した。それでも五輪史上最大規模で、景観やコストへの懸念は残る。

 

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