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戦後も引きずるもの

私説・論説室から

2018年8月15日

 左目に穴が開いている眼鏡。弾は頭部まで達したが、分厚いレンズが緩衝となり、貫通はしなかった。眼鏡を掛けていなかったら即死だったろう、と軍医に言われた。東京都千代田区の戦傷病者史料館「しょうけい館」。こぢんまりしているが国立で、秋篠宮ご夫妻と長男悠仁(ひさひと)さま(11)も先月、見学された。

 劣勢になった大戦末期、日本軍は傷病兵を後送することもできず、兵士らがあふれ返る前線の野戦病院では救護もままならなくなった。日本人犠牲者約三百十万人のうち約九割が一九四四年以降。病死や餓死も多かった。

 兵士らを無残な死に至らしめた日本軍の特徴として、一橋大大学院の吉田裕特任教授は作戦至上主義や、極端な精神主義などを挙げている(「日本軍兵士」、中公新書)。

 インド北東部への進攻、インパール作戦では「食料」の牛や羊まで連れての難路行軍で兵士らは疲弊し、約三万人が亡くなった。NHKの検証番組放送後、ツイッターでは「#あなたの周りのインパール作戦」とのハッシュタグも作られ、ブラック企業やパワハラ上司になぞらえられる書き込みが寄せられた。

 故ワイツゼッカー元独大統領は、ドイツではナチ時代と戦後が断絶しているのに対し、日本は戦時中の伝統などが戦後も維持され継続していると指摘していた。

 終戦から七十三年。あしき体質はないか。目をこらそう。 (熊倉逸男)

 

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