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金鍾泌氏の日本語

私説・論説室から

2018年7月2日

 韓国の政治家、金鍾泌(キムジョンピル)元首相が九十二歳で亡くなった。一度だけ会ったことがある。

 ソウル支局に勤務していた二〇〇一年二月二十七日夜のこと。日本の記者たちと話したいと金氏側から申し入れがあり、市内の新羅ホテルで卓を囲んだ。

 しゃがれた、迫力のある話しぶり。韓国の政界に話が及ぶと、「ならぬ堪忍、するが堪忍といいますね。政治の秘訣(ひけつ)はこれです」と日本語で話した。日韓関係については「次回にしましょう」と話したがらなかった。

 日本語のうまさは伝説的だ。一九六二年、韓国中央情報部の部長として訪日し、大平正芳外相と国交正常化交渉を行った。

 重苦しい会談の雰囲気を変えようと、「私たちは、豊臣秀吉のようにホトトギスを鳴かせなければならない」と譲歩を迫った。

 日本人がよく知る故事を使ったことで、無表情だった大平氏は「小さな目を見開いた。驚いた表情だった」と金氏の自伝にある。

 「私は物心がつく前から、日本語を学んだ。あなたの国の歴史を知っている」とたたみかけ、そこから交渉が急進展したという。

 −あの日、金氏は上機嫌で、「これから定期的に会いましょう」と話していた。

 ところが、話の一部が新聞に漏れて騒ぎとなり、次の懇談は中止。日本の記者ともあまり会わなくなった。日韓関係の光も闇も抱えたまま、旅立って行った。  (五味洋治)

 

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